社会新報

長生炭鉱で潜水4回目 ~ 遺骨収容へピーヤから新ルート

ピーヤから潜水を開始する伊左治さんら。

伊左治さんと握手する井上共同代表(右)。

ピーヤが沖合に見える床波海岸で、大椿副党首(左端)が韓国訪日団と意見交換。(6月19日、宇部市)

左から「共に民主党」の李相植議員、大椿副党首、金俊赫議員。

 

(7月10日号より)

 

 山口県宇部市の「長生炭鉱」で戦時中に起きた水没事故で、犠牲者の遺骨収容を目指す地元の市民団体「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会(刻む会)」の4回目の潜水調査が6月18、19の両日に行なわれた。水中探検家の伊左治佳孝さん(37)が沖合のピーヤ(排気・排水塔)から潜水、遺骨が多く眠るとされるエリアへの新たなルートを探った。
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 水没事故は太平洋戦争から2ヵ月後の1942年2月3日、坑口から約1㌔先の海底坑道で発生した。183人が犠牲になり、そのうち136人が朝鮮半島出身者だった。
 刻む会は12年前から遺骨収容返還を目標に掲げ、政府交渉なども重ねてきた。しかし、国は調査すらせず「困難」と決めつけた。遺族が高齢化していることから、刻む会は昨年2月、「自分たちで坑口を開ける」と決断。クラウドファンディングなどで資金を集め、昨年9月、床波海岸近くの地中から炭鉱の入り口(坑口)を掘り当てた。閉鎖環境を専門とするプロダイバー、伊左治さんが協力を申し出たことで潜水調査が実現した。
 多くの遺骨が眠るとみられるのは坑口から330㍍付近の本坑道。昨年10月から3回、坑口から調査をしたが、200㍍付近で崩落していることが分かった。そのため、今回は岸から300㍍付近の「沖のピーヤ」からアプローチすることになった。遺骨があるとされる場所にも近く、「遺骨に至る可能性と安全性、確実性がある」と判断した。
 刻む会は今回の調査に向け、ピーヤ内に折り重なった鉄管や木材などの除去作業を実施。重い鉄管はクレーン台船で取り除き、その下にたまった木材は地元のダイバーが潜水作業を繰り返して除去してきた。5月下旬には、ピーヤ最深部32㍍付近で人が一人通れるような横穴も発見した。

横穴から旧坑道入り

 6月18日、伊左治さんはこの横穴から旧坑道に入り、100㍍沖側へ。19日は、そこからさらに100㍍先へ進んだ。Y字路が現れ、右側に入ると行き止まり。左側に進んだ。視界は約5㍍と良好で、木枠など内部の構造なども分かったという。
 命綱に限りがあるため引き返したが、伊左治さんは「まだまだ先に行けそうで、本坑道につながる通路の可能性がある。調査を重ねていけば、遺骨のある場所に到達できると思う」と手ごたえを語った。
 2日目はこれまで最長の3時間半の潜水時間だった。水深は予想より約10㍍深い42㍍。水深が深く、潜水の難易度も増すため、刻む会は7月、十分な安全対策をとるため、急きょ、準備作業を実施することになった。坑内にボンベを設置したり、減圧箇所をピーヤ内に設置したりするという。
 「外にいる私たちにできるのは、装備類をはじめ、伊左治さんたちが安全に潜る環境をつくること」と刻む会の井上洋子共同代表。ピーヤ内にはまだまだ木材や鉄管が残り、その撤去作業も引き続き行なう。次回の潜水調査は8月6~8日。次々回8月23~25日には、4月に合同調査した韓国のダイバー2人が再来日する。

李大統領との面会を

 刻む会の取り組みは、日本政府の姿勢も変化させた。4月7日の参院決算委員会。社民党の大椿ゆうこ議員が石破茂首相をただすと、首相は「国はいかなる責任を果たすべきか、政府として判断していく」などと踏み込んだ。厚労省も重い腰を上げた。5月に入り、潜水、鉱山、土木構造物の専門家のヒアリングを始めている。
 刻む会が新たな目標に掲げるのは韓国の李在明(イ・ジェミョン)新大統領との面会だ。井上共同代表は19年、当時の文在寅(ムン・ジェイン)大統領に手紙を書いた。それがきっかけで、刻む会と遺族会は、韓国政府と密な意見交換ができるようになった。今回もまず手紙を書くという。
 今回の潜水調査の初日には姜鎬曽(カン・ホズン)駐広島韓国総領事が駆けつけた。2日目には70人の韓国からの訪問団の中に与党「共に民主党」の李相植(イ・サンシク)、金俊赫(キム・ジュニョク)両国会議員もおり、韓国側の関心の高さをうかがわせた。
 井上共同代表は「日韓国交正常化60年、戦後80年の節目の年。日本が問われる1年になる。遺骨発掘と返還の責任を持つ政府を、市民の力で動かしたい」と力を込めた。