社会新報

長生炭鉱水没事故83周年 犠牲者追悼集会㊦ ~ ダイバー・伊左治佳孝さんが潜水調査「遺骨は必ず発見できる」

潜水調査から戻り、坑口から出てくる伊左治さん(中央右)。左端のひもが命綱。

 

(社会新報2月20日号より)

 

 昨年9月25日、地上から5㍍下に松の板で閉じられていた坑口が、ついに見つかった。82年間放置されたままで太い樹木や生い茂る雑木に覆われた一帯を巨大なユンボ2台で掘り返し、坑口を掘り当てると、「82年の闇に光が入った」と歓声が上がった。
 すると、水中探検家の伊左治佳孝さんが「遺骨を悲しいままにしておけない」と、「長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会」(共同代表・井上洋子、佐々木明美)に潜水調査を自ら申し出てきた。そこから、長生炭鉱の水没事故で犠牲になった方々の遺骨の発見に向けた取り組みが始まった。 
 今年2月1日の追悼集会では、坑口前に韓国語の横断幕が掲げられた。韓国国会の教育委員会でもこのほど、キム・ジュンヒョク議員が「長生炭鉱水没事故の真相究明と犠牲者の遺骨発掘と奉還を日本政府に求める」との決議案を代表発議した。韓日両政府が協力して水没事故の真相を明らかにし、犠牲者の遺骨発掘と奉還作業を速やかに推進するよう求める内容だ。

遺族の関係者は100人を超えた

  1月31日から2月2日にかけて、昨年の10月に続く2回目の潜水調査が行なわれた。
 初日は、この問題で国への申し入れや交渉に深く関わってきた社民党の大椿ゆうこ参院議員も坑口前に駆けつけ、国会質疑の内容を報告。遺族やダイバーの伊左治さんを激励した。
 坑口前では、遺族が、伊左治さんが無事に潜水から戻ってくるように最前列で見守った。潜水中、東京・小平市の国平寺住職の読経が続いた。
 約90分後、水面に泡が立った。伊左治さんが潜水から戻ってきたのだ。「戻ってきた」と歓声が沸き起こる。井上共同代表や遺族らも顔を紅潮させて喜んだ。
 岸に上がった伊左治さんは、ヤカンのお湯で暖をとった。「今回は坑口から250㍍のところまで20分~30分でリール(命綱)を頼りにたどり着いたが、そこから先は坑道が崩れていて木材を切らなければ進めない。水は常に濁っており、10㌢から20㌢先までしか見えない。そこからは手探りの状態」とのこと。
 翌日は、のこぎりを手に潜水。さらに15㍍先まで進むことができたが、その先は坑道が崩れている可能性があるため進めなかった。
最後の日は「何か遺品のようなものがあれば持ち帰ってほしい」との声を受けて、銅線や木でできたリング、石炭など3点を持ち帰った。伊佐治さんは「何に使われていたかは不明だがこの中で働いていたという生活感を感じた」と話した。

潜水調査が日本政府の主張を覆す

  3日間の潜水の見守りには、沖縄で遺骨調査に取り組む具志堅隆松さん(沖縄戦遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」、沖縄大学地域研究所特別研究員)も参加。「遺骨は水や、土の中の方がよく保存されている。国は『遺骨の収集はできない』と言うが、伊左治さんの潜水調査が国の主張を一つずつ覆している」として今後の成果に期待を寄せた。
 潜水調査終了後、井上共同代表が見守り参加者を前にあいさつ。
 伊左治さんをはじめとする協力者に謝意を述べた上で、「日本政府を動かして安全に遺骨調査ができるように要求していく。4月には韓国のダイバーも2人、来日して潜水に参加する予定。今後はピーヤ(排気・排水筒)からの捜索も考えていく。トロッコのレールが見つかったので、遺骨は必ず発見できる。遺骨と対面できることを確信している」と述べた。