
日本記者クラブで会見する被団協の田中熙巳代表委員(昨年12月24日、東京・内幸町)

ノーベル平和賞のメダルのレプリカと賞状を手にする被団協の(左から)濱住事務局次長、田中代表委員、児玉事務局次長。
(社会新報1月23日号1面より)
ノーベル平和賞を受賞した日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の記者会見が昨年12月24日、東京・内幸町の日本記者クラブで行なわれ、被爆80年となる2025年を被害の実態を証言する大運動の年にしたいと訴えた。
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会見に出席したのは、田中熙巳代表委員(92)と、児玉三智子(86)・濱住治郎(78)の両事務局次長。
初めに田中代表委員があいさつ。「受賞決定後は、お祝いの電話や取材依頼が殺到し、大変にあわただしかった。12月10日のオスロでの授賞式参加をつつがなく終えることができて、ほっとしている」と述べた。
続けて児玉事務局次長が発言。「最初、受賞の実感が湧かなかった。報道に触れたり、さまざまな方からお声がけをいただりして、本当のことだと実感した。オスロでの田中代表委員のスピーチは心に響くものだった」と話した。
濱住事務局次長も、「オスロはとても寒かったが、30人の団員は体調を崩すこともなく無事に授賞式を終えることができた。また、クラウドファンディングには、たった1日で5000人の人から1000万円もの大金が集まり、多くの人の支えに感激した」と支援に謝意を述べた。
被害「受忍論」を否定
質疑応答では、「被爆と敗戦から80年を迎えるにあたって、日本被団協の運動や意義をどう見るか」と問われたのに対して、田中代表委員は、「80年のうち、約50年間は運動にまい進してきた。原爆から奇跡的に無傷で生き残った者として、仲間の手助けができればという思いでやってきたが、その人たちの多くが亡くなっている。あと10年受賞が早ければと感じることもあるが、いまだに世界は核兵器廃絶まで至っていない。だから、このノーベル平和賞受賞を契機にもう少し頑張っていきたい」と強調した。
また、「受賞スピーチの中で、日本政府は原爆で亡くなった方への償いをしていないと繰り返したことの真意は何か」と問われると、田中代表委員は、「国は被爆者援護法を制定したものの、金銭的補償を頑なに拒否していることへの怒りがあった。戦争による被害を国民は甘んじて受け入れるべきという考え(受忍論)は間違っている。そして、世界から戦争被害をなくしたいという強い思いがあったので、瞬間的に(決めて)繰り返した」と話した。
さらに石破首相が主張する核共有論に触れて、「ノーベル平和賞の受賞決定後、石破首相からお祝いの電話があったので、短時間だがお話をさせてもらった。核兵器は永久に維持するべきではない、廃絶すべきという点では一致したが、核共有論は間違っていると申し上げた。唯一の戦争被爆国の首相として、核兵器廃絶の指導力を発揮すべきと訴えたい」と語った。
また、被爆から80年目となる2025年を「区切り」とし、ノーベル賞選考委員会の関係者から聞いた話として、「実はノーベル賞選考委員会は、日本被団協に25年に授与することを検討していたが、節目の年に世論を盛り上げるには、むしろ前年のほうがよいとの判断で24年に決めたそうだ」と話し、「とても的確な判断だ」として感謝の意を述べた。
最後に、今後の活動について田中代表委員は、「3月の核兵器禁止条約締約国会議に日本被団協も参加するが、日本政府もせめてオブザーバー参加するよう、国会議員への要請や署名、厚労省や外務省前での集会を予定している。さらに、25年には証言の大運動をしたい」と述べ、より一層の運動を展開していくことを強調した。
首相は核抑止力論に固執
会見から約2週間後の1月8日、田中代表委員らは官邸を訪れ、石破茂首相と面会した。
被団協側は、3月に米国で開かれる核兵器禁止条約締約国会議に日本政府がオブザーバー参加するよう求めたが、首相は明言を避けた。首相は面会の冒頭、「被爆の実相を世界に発信してきた皆さんのノーベル平和賞受賞は極めて意義深い」と述べたものの、安全保障環境の話題を持ち出し、核抑止力論に固執する発言に終始した。