社会新報

JCO臨界事故を忘れない ~26周年集会で東海第2原発の廃炉訴え

集会参加者らはJR東海駅までデモ行進し、東海第2原発の廃炉を訴えた。(9月28日、東海村)

 

茨城県東海村にある核燃料加工業者JCOで1999年9月30日に起きた国内初の臨界事故から26年となるのを前に、9月28日、同村で「JCO臨界事故26周年集会」が開催され、県内外から190人が参加した。

集会の主催は原水爆禁止日本国民会議(原水禁)、茨城平和擁護県民会議、臨界事故を語り継ぐ会など6団体で、茨城県内44市町村中、38自治体の首長からメッセージが寄せられた。
現在、日本原電(株)東海第2原発では、再稼働に向けた「安全性対策工事」の要である津波対策の防潮堤工事が、2年前の施工不良の発覚により止まっている。ところが、再稼働に「中立」の立場を表明してきた東海村の山田修村長が、9月の村長選を前に突然、「再稼働は必要」と述べ、再選されている。

線量を小さく発表も

集会冒頭、この事故で亡くなった2人の犠牲者に黙とうした後、臨界事故を語り継ぐ会の相沢一正さんが地元からのあいさつ。JCO臨界事故について次のように振り返った。
「今でも鮮明に覚えている。臨界事故発生は10時35分。住民がこの事故を知ったのは約2時間後で、その間、住民はたっぷり放射線を浴び続けてしまった。住民避難は事故から4時間経っていた。翌日になって住民の汚染検査が行なわれ、全身がだるい、口内炎ができる、鼻血が出るという症状も出たが、混乱の中であまり問題にされなかった」
その上で相沢さんは、「原子力事故は住民が情報を知るまで時間がかかり、その間に被ばくしてしまうのが特徴だ。原子力を推進する側は、被ばく問題が推進の障害にならないように、被ばく線量の公表を遅らせ、線量は小さく発表される」と批判した。

7次計画は非現実

続いて、原水禁の染裕之共同議長が主催者あいさつ。「政府は福島第1原発事故から14年後に第7次エネルギー基本計画を決定した。この計画は電力の2割を原発に依存するものだ。建設中の原発を含め全ての原発が稼働して、ようやく2040年度に2割前後になる。この中には、稼働47年を迎える老朽原発の東海第2原発も入っている。危険な老朽被災原発を動かす理由は全くない。計画は非現実的なものだ」と厳しく批判した。

事故の残酷さ知って

その後、臨界事故を語り継ぐ会のメンバーでノンフィクションライターの大泉実成さんが、「JCO臨界事故を忘れてはならない」と題して講演した。
大泉さんは、「国の公式見解では、JCO事故の健康被害者は亡くなった2人ともう1人の3人だけだが、健康被害を訴えて裁判を起こした私の両親(故人)や、他にも体調不良を訴えた住民、訴訟を断念した人が何人もいた。福島原発事故でも、事故の深刻さや被害者救済の難しさがあり、何人もの自殺者を出した。その残酷さを知ってほしい」と語った。
そして、東海第2原発差止訴訟団の大石光伸・共同代表が特別報告を行ない、「運転差止訴訟は、4年前に水戸地裁で住民側が『原発を運転してはならない』という一審勝訴判決を勝ち取ったが、被告の日本原電が控訴し、東京高裁で7回の口頭弁論が開かれている。日本原電は『事故は起きないから避難計画はいらない』との主張だが、97年の東海村再処理施設火災爆発事故、99年のJCO事故、12年後の福島原発事故と、3回の被ばくを経験した。4度目の事故はあってはならない」と訴え、裁判傍聴の支援を呼びかけた。
集会アピールでは、東海第2原発について、「人口過密地帯に立地し、運転開始から47年になる超老朽原発。防潮堤の不良工事が内部告発で明らかになり、中央制御室の火災をはじめ頻発する火災を起こした。運転習熟要員も少ない中で安全な運転を期待するのは無理。臨界事故の教訓を踏まえれば、再稼働の選択はない」と確認した。
集会後、参加者はJR東海駅までデモ行進し、東海第2原発の廃炉を訴えた。