
党首らに説明する布目さん(左端)。
【長野】福島みずほ党首は4月6日、五十嵐やす子板橋区議や西尾あや子鴻巣市議とともに、県内に残る戦争史跡を視察した。
最初に訪れたのは、長野市にある松代大本営地下壕跡。太平洋戦争末期の1944年11月から本土決戦に備えて、約6000人の朝鮮人と約4000人の日本人労働者を強制的に動員し、突貫工事で進められた、天皇、皇族をはじめ大本営や政府機関を移転させる「首都移転」ともいうべき秘密計画だった。
平和の尊さを学ぶ
朝鮮人犠牲者追悼碑を守る会事務局次長で社民党県連副代表の布目裕喜雄さんが案内。
布目さんは、「植民地として支配していた朝鮮半島の人々が強制連行され、劣悪な環境下で工事の主力を担わされた」と説明。その上で、「強制連行の史実をあいまいにする歴史修正主義の誤りをただすとともに、戦争の悲惨さ、平和の尊さを学び次世代に語り継ぐ戦争史跡として残していくことが大切だ」と語った。
続いて、駒ケ根市にある登戸研究所平和資料館を視察した。同市の池田幸代市議が案内した。
登戸研究所は、本土決戦に備えて缶詰爆弾や風船爆弾をつくっていた施設。池田さんは高校時代に平和ゼミナールの活動で平和資料館を訪れたという。「松代大本営と一体のものとしてとらえることが必要」と池田さんは指摘した。
最後に、下伊那郡阿智村の満蒙開拓平和記念館を訪問した。全国で唯一、「満蒙開拓」に特化した記念館だ。「満蒙」とは、1930年代に日本が愧儡政権を作って支配していた旧満州(中国東北部)と内モンゴルのこと。当時、日本各地から農民などが「満蒙開拓」の名の下に現地に入植したが、終戦時には、ソ連軍の侵攻などのために多くの人が悲惨な経験をした。
記念館は、史実を通じて、戦争の悲惨さ、平和の尊さを語り継ぎ、末来の平和に向けて発信することを目的としている。寺沢秀文館長から、記念館建設の経過や、長野県から3万7000人という、全国でも突出した大規模な開拓団が送られた背景、終戦後の帰国までの苦難、集団自決の惨状などについて話を聞いた。
命やくらしが犠牲に
視察を終えた福島党首は「愚かな戦争を遂行するために、大真面目に大本営を造り、登戸研究所を疎開させた。国体維持のために国民の命や暮らしが犠牲となった。松代大本営の建設と沖縄戦がつながっていることを確認できた。全国各地の戦争史跡の保存に、社会党・社民党が関わってきている。視察を通じて何を共有していくのかを確認し、戦後80年を機にアピールを出していきたい」と語った。