社会新報

「村山富市元総理 お別れの会」に高市首相ら450人が参列 ~ 輝き続ける戦後50年談話

4月20日、都内のホテルで営まれた「村山富市元総理 お別れの会」には約450人が参列した。

追悼の辞を述べる社民党党首の福島みずほ参院議員。

献花する高市早苗首相。

呼びかけ人を代表して式辞を述べる河野洋平元自民党総裁。

元首相秘書官の古田肇・前岐阜県知事。

遺族を代表してあいさつする中原由利さん。

 

 昨年10月に101歳で逝去した村山富市元首相を偲ぶ「村山元総理 お別れの会」が4月20日、都内のホテルで営まれ、福島みずほ社民党党首や高市早苗首相、森英介衆院議長、関口昌一参院議長をはじめ約450人が参列した。

村山元首相は1924年大分市生まれ。自治労の出身で、大分市議、大分県議を経て、72年に衆院議員に初当選、通算で8期を務めた。日本社会党の第14代委員長として自民・社会・さきがけの連立政権で1994年6月から961月まで第81代の首相を務め、社民党の初代党首も歴任した。飾らない人柄から「トンちゃん」の愛称で親しまれた。村山内閣は首相の人柄を表すように政治理念に「人にやさしい政治」を掲げた。

村山内閣で副首相と外相、そして衆院議長などを歴任した河野洋平元自民党総裁は、会の呼びかけ人代表として、式辞で「101歳と天寿を全うされたとは言え、日本の政治の良心、市民の宰相を失ったことはわが国にとって大きな損失だ」と語り、「戦後50年という大きな節目の中で総理大臣を務めたことに、『これも天命じゃ』と腹をくくって、日本のかじ取りに当たられたが、その最大の功績は、日本の植民地支配と侵略に対する反省とおわびを明記した村山談話だ」と故人を称えた。

続いて、社民党の福島みずほ党首(参院議員)は、追悼の辞で「村山さんは、私にとって政治の父であり、土井たか子さんは母だった。そして最後まで社民党員として、私たちをけん引し、励まし、守ってくれた」と遺影に向かって語り掛けた。

そして福島党首は、戦後50年談話、いわゆる村山首相談話に触れて、「村山さんからは、自身の戦争体験に触れて『戦争だけは絶対にしてはいけない』と言われてきたが、その思いの集大成が村山談話だ。『我が国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします』との文言は、歴代内閣にも踏襲されており、歴史の流れの中で輝いている。私たちもその精神を引き継いで頑張っていく」と述べた。

また、通産省出身で元首相秘書官の古田肇前岐阜県知事は、「私は村山元総理の秘書官としてだけでなく、岐阜県知事になっても公私共にご指導をいただいた。心から感謝の気持ちを申し上げたい。村山総理は厳しい苦渋の決断の連続であったが、ナポリサミットで米国のクリントン大統領と会談した際、自身の戦争体験と平和への思い、アメリカンデモクラシーからの学びを丁寧に語っていた。最初は社会主義者との会談を渋っていたクリントン大統領だが、予定時間はオーバーし、大統領は身を乗り出して聞き入っていた」と、その人柄を偲んだ。この他、立憲民主党の辻元清美参院議員、甲南女子大学教授の鴨下ひろみさんも追悼の辞を述べた。

遺族を代表して次女の中原由利さんがあいさつし、「父はいつも穏やかで、『お父さんはなぜ怒らないの』と尋ねると、『人の弱みを知った時、それを攻撃するのではなく、弱みを守ってやりなさい』と言っていた」と思い出を語った。最後に、参列者による献花が行なわれ、会は終了した。