社会新報

【主張】「村山談話」の威力 ~ 軍事力が築けない橋を外交で築こう

1995年8月に閣議決定された「村山談話」は、先の大戦で「国策を誤り、植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」ことを認め、「痛切な反省の意」と「心からのおわびの気持ち」を表明した。日本の右派はこれに反発したが、その後の内閣も日本政府の基本的見解として踏襲してきた。
最近、機密解除された英国の外交公電によって、「村山談話」が国連外交における諸外国の対日姿勢を軟化させ、直後の国連安全保障理事会大戦終結50年の議長声明に影響を与えた経緯が明らかになった。当初、中国政府が議長声明に盛り込むことを要求していた「侵略」の言葉が削除されたのである。日本の歴史認識をめぐっては日本と侵略を受けた国々間でしばしば外交問題となってきたが、「村山談話」が、他国政府の姿勢を変えた経緯が具体的に明らかになったのは貴重だ。
当時、英国政府は事態を憂慮して、安保理の理事国でなかった日本に状況を通知したが、日本政府は米国に支援を要請したのみで、対応しようとはしなかった。英公電は日本政府が自国の問題が議論されるのに、協議の日程すら把握していなかったことを「非常に奇妙」と報告している。
一方で、当時の中国政府が「村山談話」を「前向きな一歩」と受け止め、対話の余地を広げ、「侵略」の文言の削除に合意した。これは外交における言葉の重みをあらためて示している事例といえるだろう。反省を明確に示すことが国際社会における信頼の基盤となり、緊張を和らげる力を持つことを、「談話」が証明した。
謝罪や反省は「弱さ」ではなく、国際社会における「強さ」になり得る。誤りを率直に認める姿勢は、「この国は信頼できる」というメッセージとなるのである。外交は、相手の心の動きを読み取り、未来の協力を可能にするための橋を架ける営みである。軍事力では築けない橋を言葉が築く。対話を重ね、相手の立場を理解し、共通の利益を見いだす努力は、どんな最新兵器よりも平和を長続きさせることもある。
高市首相は「私自身は当事者とは言えない世代だから反省なんかしていない」、首相になったら村山談話を「新たな歴史見解を発表して無効にする」などと発言しているが、誠実さのカケラもない高市首相の姿勢は、日本の立場を弱めるだけである。(8月27日号)