社会新報

【主張】「狭山事件」石川一雄さん死去 ~ 再審法を改正し「見えない手錠」をはずそう

(社会新報3月27日号より)

 

 「再審の扉」が開かぬままの旅立ちとなってしまった。3月11日、石川一雄さんが誤えん性肺炎のため死去した。86歳だった。
 1963年5月、埼玉県狭山市で、当時16歳の女子高生が殺害された狭山事件では、24歳の石川一雄さんが逮捕されて、部落差別に基づく偏見で犯人にデッチ上げられ、強盗殺人罪で起訴された。
 裁判では無期懲役が確定したが、えん罪だとして再審を求めている最中だっただけに、さぞや無念だったと思われる。
 昨年11月1日、日比谷野外音楽堂で行なわれた、「狭山裁判の再審を求める市民集会」で石川さんは、9月26日に静岡地裁の判決で再審無罪を勝ち取り、その後、検察が上訴権を放棄したことで無罪が確定した袴田巌さんのことに触れ、「イワちゃんが無罪となって、私も思わず泣いてしまった。私もえん罪が晴れるまで闘います。ぜひ、皆さんの御支援をお願いします」と力強く参加者に呼びかけた。「袴田巌さんの次は石川一雄さんだ!」という声が盛り上がっていただけに、とても残念だ。
 石川さんの訃報が伝わった当日、東京高裁前には、急な呼びかけにもかかわらず、多くの人が駆けつけて、追悼のスタンディングも行なわれた。そこでは、「奪われた石川一雄さんのいのち・時間・人生に、国家と司法は向き合い謝罪せよ」というメッセージが参加者から掲げられ、即時に再審を開始して無罪判決を求めていた。第3次再審は、石川さんが亡くなったことで終了とはなったが、妻の石川早智子さんの強い希望で、第4次再審を申し立てることになり、弁護団も準備を開始することになった。
 また、3月13日の参院法務委員会では、社民党党首の福島みずほ参院議員が「無罪で再審を求めていた石川一雄さんが3月11日夜に亡くなられた」と述べた上で、「再審を待ち望んでいた石川さんは亡くなってしまった。再審を望んでいる人には、一刻の猶予も許されない。いや、一日たりとも許されない」として、再審法改正を強く求めた。
 請求から19年も経過しているのに、長期の審査が続くこと自体が異例であり、早期に再審法の改正を実現すると共に、石川早智子さんの言うように、「見えない手錠をはずすまで」第4次再審を闘い抜いて、無罪判決を勝ち取ることこそ、石川一雄さんの遺志を引き継ぐことになるのである。