【追悼】山内徳信元参議院議員のご逝去を悼む
【追悼】山内徳信元参議院議員のご逝去を悼む
2026年9月30日
社会民主党党首 福島みずほ
社会民主党幹事長 ラサール石井
社会民主党前幹事長/元衆議院議員 服部良一
9月26日山内徳信社民党元参議院議員が、ご自身がかつて村長を務めた読谷村内の介護施設で死去された。戦後村の面積の80%以上を米軍基地に占有されていた行政の長を6期務め、その現場から米軍基地撤去の先頭に立ち、読谷補助飛行場の全面返還を勝ち取った。返還前の基地の中に村役場や福祉センターをつくり、米カーター大統領に直訴の手紙を送ったり米側との直接交渉に渡米したり、そのユニークな闘いは今も語り草になっている。
また「文化村づくり」を訴え、「やちむん(焼き物)の里」の建設、紅芋や読谷山花織などの村おこしなどに注力されてきた。山内村長の提唱で始まった「読谷祭り」は50年を超え毎年8~10万人が訪れている。
その後大田県政の三役(出納長)を務め、退任後は2000年からは「基地の県内移設に反対する県民会議」の代表に就任、まさに沖縄反基地運動の象徴として活躍された。辺野古の座込み行動が始まったその初日、その先頭に陣取っておられたのが忘れられない。また伊江島の反戦平和資料館「わびあいの里」の理事長にも就任された。
2007年には大田昌秀参議院議員(元県知事)の後任として社民党全国比例区から出馬、当選された。外交防衛委員会や沖縄及び北方問題特別委員会での果敢な論戦を挑みながら、憲法9条を守り沖縄の基地撤去、辺野古の新基地建設反対、日米地位協定改定に心血を注いでこられた。徹底して住民・県民の側に立って体を張って権力と対峙し行動していく行政の長であり、国会議員であり闘士であった。
山内徳信さんのご逝去を心より悼み、生き様をしっかり胸に刻み、今後の沖縄、日本の平和のために社民党一丸となって尽力していく決意である。