衆議院本会議 8月11日

土井たか子党首の代表質問


参院選挙の民意

 社会民主党・市民連合を代表して、小渕内閣総理大臣所信表明演説に対して質問いたします。

 七月に行なわれました参議院選挙で大きな変化を求める民意がはっきりと示された後の、小渕新政権の誕生でありますから、私は非常な期待をもって所信表明の演説を聞かせていただきました。そしてたいへん落胆をいたしました。この演説のどこに、民意に応える反省があり、どんな新鮮味があったでしょうか。どこに、日本再生の具体策が迫力をもって描かれていたでしょうか。

 参院選での民意とは、これまでの政治のあり方、行政のやり方ではダメだ、大きく変えなさい、そして未来に対する方向をしっかり示してほしい、こういうことだったと私は考えております。それに対して、この演説はまったく応えておりません。経済の大きな落ち込みの中で、人々は自信を失い、生活の先行きが見えない不安の中にあります。会社が、工場が、明日にも潰れるのではないか、職を失うのではないか、あるいは、退職後年金が支払われないのではないか、介護が保障されていないのではないか−−−その一方で負担は増えるばかり。こういう不安の中では、人々は決して消費などしないものです。

 さらに深刻なのは、本来人々の不安に応えて、未来への展望を指し示し、明日への確信と希望を与えるべき政治の言葉が人々の信用を失っているということであります。

 国民のこの不安と不信と不満とに応えることが、与野党を問わず、いますべての政治家に問われていることです。通り一遍ではダメなのです。これまでのやり方の踏襲では通用しないのです。

 にもかかわらず、総理の所信はこれまでの踏襲に過ぎるといわなければなりません。それでは、信頼に足る政治とはどんなものでしょうか。それは、事を行なうにあたって国民に真っ正面から向き合い、不公正を憎み、正義を行ない、為すべきをきちんと説明し、説得し、苦しみも、喜びも、国民とともにして歩もうという姿勢の政治のことであると考えます。もし国民に対して負担をお願いする必要があるとするならば、それを呼びかける前に、政治家がまず自らを徹底して正し、率先して身を切る覚悟のある、そういう政治ではないでしょうか。

 社民党は一貫して主張してきたことでありますが、改革をおっしゃるなら、まず自らの政治倫理をはっきりさせていただかなければなりません。不良債権の処理のために、国民の負担をお願いしたい、税金を注ぎます、それしか方法はないのです、というのなら、金融機関の情報公開、経営責任をはっきり取らせることはいうまでもないことながら、政治の側も自らの姿勢を改めることが求められているのではありませんか。まさかこの上、自民党は金融機関からの献金などを受け取ることはないと信じたいのですが、総理、いかがですか。

 企業、団体からの献金について、すでに政党には公的な助成が行なわれているのですから、政治資金規正法にいういまから二年後というのではなしに、もうこの機会にきっぱりと止めることが筋だと思いますが、いかがですか。

 第一にお聞きしたいのはこの点であります。


日本経済の再生

 総理は、ご自身の内閣を「経済再生内閣」と位置づけられ、一両年のうちに、わが国経済を回復軌道に乗せるよう、内閣の命運をかける、とおっしゃいました。私の率直な印象を申し上げますと、少なくとも一両年は日本経済の回復は困難だと告白されたようなものだと感じております。ある意味では、精一杯の正直発言なのかもしれません。昨年秋に打つべきだった大型経済対策の時期を失してしまい、先の参院選挙では、この経済失政に対する国民のお叱りが橋本前政権に引導をわたしました。当時の与党の一員として社会民主党もその限りの責任を回避しようとは思いませんが、それだけに私たちの野党としての要求は真剣です。

 日本経済は戦後経験したことのない深刻なデフレの入り口に立っていると専門家は指摘しております。将来に対する国民の不安が消費マインドを冷え込ませ、一方で、九七年以来のマイナス成長が不良債権の裾野を拡大させています。こうした膨大な不良債権の処理が行なわれることによるデフレ効果は、六兆円を上回る恒久減税の効果を簡単に帳消しにしてしまうほどの深刻さだといいます。こうした底知れない不良債権の処理を、国民の税金で処理するというのでは、大銀行優先の不公平、不公正がまかり通ることになります。日本経済再生のために公的資金の投入が必要不可欠だというのなら、不良債権を生んでしまった経営責任を峻烈に問い、同時に政府がそう考える判断の材料を国民に詳しく示すべきです。バブル経済の破綻とともに表面化した不良債権の詳細にとどまらず、その後の日本経済のマイナス成長によって倒産が続出し、新たな不良債権がさらに積み上がっている実情データも国民に示さなければなりません。総理、大蔵大臣のご存念をお聞かせいただきたいのです。


誰のための減税

 次に総理は、税制について「景気に最大配慮して、六兆円を相当程度上回る恒久的な減税を実施」するといわれました。総理は「勤労者、中小企業の経営者の皆様などをはじめとする国民の生の声に耳を傾け」といわれていますが、こうした国民の声はただ「聞く」だけなのでしょうか。減税という言葉は、大変心地よい言葉ですが、しかし問題は、誰にとっての負担減なのか、ということです。減税の中身は、所得税と住民税を合わせた税率の最高水準を五〇%に引き下げ、また法人課税の実効税率を四〇%に引き下げる、というものです。

 所得税のこれまでの税率六五%を五〇%に引き下げられる人々は、給与収入三千五百六十五万円以上の人々です。一九九五年の国税庁の調査によれば、約四千七百万人の納税者のうち、わずか十七万人余、〇・五%にもみたない人々にすぎません。こういう人々が最大の恩恵を受けるのです。そして、財源は当面は赤字国債をもって充てるというのですから、やがては国民全体にこの負担がのしかかってくるわけです。

 これはいったい誰のための何のための減税でしょう。勤労者や中小企業の経営者の生の声や姿はどこにいったのでしょう。所得の少ない人々や、社会的に弱い立場の人たちへの配慮をどのような形で示すのですか。総理、大蔵大臣にお聞きします。

 国民の働く意欲を引き出すというのは格好のいい言葉です。しかし、最高税率を引き下げた米国などでは格差が拡大し、その是正が大きな課題となっております。ごくごく一部の者だけが働く意欲をもったにしても、国民の大多数が働く意欲を失うというのでは本末転倒、健全な経済は営めないのではないでしょうか。

 戦後の日本社会が世界に類を見ない安定構造を持ちえたのは、つまりどんな所得階層の出身でもまじめに勉学に励み、努力すればどんな職業にもつける、小渕さんも総理大臣になれるという職業選択の階層間流動性が第一の理由でした。そして第二が、所得格差の相対的な小ささです。こうした状況を実現できた有力な方法論の一つが、所得に対する厳しい累進税率の適用です。内需刺激のためという米国の要求に丸乗りして、こういう所得再配分や格差是正機能のメリットを簡単に放棄することは禍根を残すでしょう。総理は、どのようなご見解かお聞かせ下さい。


年金改革の実施

 そして、肝心なことは総理のいわれる通りに、この減税が果たして景気を刺激することになるのかということです。減税をすると、その結果、歳入が減りますから医療費や社会福祉、教育費の削減につながるという不安を多くの国民はもっております。この不安の中で人々の消費マインドは一層冷え込み、人々は決して財布の紐をゆるめません。老後をはじめとするいろんな不安を解消することが先決です。そのためには政策を思い切って福祉にシフトすることが大事です。歳出の中で目をみはるような医療や福祉、教育をあつくする総理の政治的手腕が問われていますが、どうお考えですか。

 たとえば、年金です。総理は、先の自民党総裁選で、年金の給付水準は現状を維持するとの年金改革案を発表しておられます。社民党は、年金制度全般の改革、さらに介護や医療の総合的かつ抜本改革を行なう中で、誰もが「暮らせる」年金水準の実現を図り、活力ある高齢社会を築くことが、まず取り組まれるべき課題であると考えています。

 前回九四年の年金改正では、当時の社会党の主張で基礎年金の国庫負担割合の引き上げに道筋がつけられています。次期年金改正で基礎年金の国庫負担を二分の一に引き上げを行なうことが全会一致の決議でした。先に総理が発表なさった年金改革案で給付水準を維持するためには、この国会決議を実施することが責務となります。総理のご所見をもとめます。

 総理は財政構造改革法を当面凍結するとおっしゃいました。

 問題は、凍結のための改正案提出を次期通常国会にしようという総理の方針です。行政権優位を認めない国民主権制の議会制民主主義を保障する財政法定主義や財政に関する国会中心主義は、日本国憲法に盛り込まれた重要な柱の一つです。法律をそのままにしておいて、総理の凍結方針表明だけに依拠して、政府が新年度予算の概算要求や予算案編成作業を進めることは、憲法の定めるルールに反する国会軽視です。凍結のための改正案をこの臨時国会で成立させてから、新年度予算案編成に取りかかるべきではありませんか。総理、および大蔵大臣のご見解を求めます。


人権尊重の外交

 さて、総理は、外相時代、外務省や防衛庁の中にあった一部の消極論に与せず、「地雷廃止条約」への署名を決断されました。私がその決断に敬意を表するのは、単にお役人の抵抗を抑えたからというのではなく、地雷廃止に積極的な姿こそ、この日本という国の根本的なあり方であると考えるからに他なりません。

 私たちが尊重するのは、自由であり、民主主義であり、人権であり、平和であります。それが、この五十三年にわたる戦後日本の基盤であり、内外の人々への約束でありました。そして、いまやその価値は世界中に共通のものとなっております。私たちは、戦後の歩みに自信を持ち、さらに世界の人々、とりわけ隣人であるアジア諸国の人々と手を携えて歩んでいかなければならないと思います。

 そこで気になることがいくつかあります。その一つは、アウンサン・スーチーさんを代表とするビルマ民主化運動と軍事政権との緊張がますます高まっていることです。総理は、この事態をどのように受け止めておられますか。また、祖国を離れて日本に難民申請をしているビルマの人たちに対して、入管当局が身柄を拘束するという事態が起きています。わが国は、国際難民条約批准国として人権を尊重した取り扱いが求められていると思いますが、この点、総理はどのようにお考えになりますか。


曖昧な周辺事態

 次に、いわゆる「周辺事態法」案についてであります。「日米防衛協力のための指針」、いわゆる新ガイドライン関連法案等について、社民党は憲法と日米安保の範囲を超えていると考えます。日本が武力攻撃を受けてもいない他国の武力紛争に、軍事的に加担、介入していくことは、あきらかに、憲法が禁じる集団的自衛権に抵触し、専守防衛の原則からも逸脱しており、認めるわけにはいきません。

 周辺事態法案で自衛隊の出動は、「国会に事後報告」としていることはゆゆしい問題です。しかし、それに止まりません。「国会承認」が事前に行なわれさえすればよいという性格のものではないからです。本来日本は、「国際紛争を解決する手段として」武力の行使はもちろん、威嚇さえ行なわない、そう内外に約束してきた国です。それを周辺有事だから仕方がない、国民挙げて米国の軍事行動に協力せよというのは、この国の基本姿勢にかかわります。易々と賛成するわけには参りません。

 「周辺事態」の「周辺」という範囲も曖昧なまま、また、自治体や民間企業に協力させながら、では何に対して、どのような協力を具体的に想定しているのか。自治体が政府に尋ねると、甚だ曖昧な答えしか返ってこなかったといいます。なぜこのように曖昧なのか。

 それは、これまでの国のあり方の根本からいって、あるいは国民への約束からいって、明らかに許されないことがここに含まれているからではありませんか。

 防衛庁は、自治体への協力要請によって「一般的協力義務が生じる」と説明していると聞きますが、本当にそうなのですか。総理にお尋ねします。このように曖昧なまま日本全体、日本国民全体の進む方向を決めてしまうような法案は、日本の戦後の歩みの基盤を全面的に崩してしまうものだとは考えませんか。

 先月、アメリカのクリントン大統領は、中国の江沢民国家主席との会談で「二つの中国は支持しない」「台湾の独立は支持しない」「台湾の国連加盟は支持しない」と表明しました。

 すでに、わが国は、中国との間に交わした一九七二年の日中共同声明で、台湾は中国の不可分の一部であることを理解し、尊重することを表明しています。この立場から日米安保が台湾海峡をターゲットにしているといわれる懸念を取り除くために、中国に対しては、台湾の武力解放の選択肢をすてる約束をするよう迫り、同時にアメリカに対しては、「日米安保の極東の範囲から台湾は除外する」と、はっきり伝えるべきです。江沢民国家主席の九月訪日を前に、総理のご決断を求めます。

 また、新ガイドラインが内包する本質の一つは、冷戦後、アメリカだけでは担いきれなくなった、後方支援や前線基地の負担を日本に背負わせるところにあります。この問題は、日本の財政力を度外視して考えることはできません。安保再定義を議論し始めた九四年は一ドル百円前後、日本経済は日の出の勢いのように見られていました。新ガイドライン見直しをうたった日米安保共同宣言が発出せられた九六年四月頃は、一ドル百八円でした。今や、それが一ドル百四十円台になっています。日本の負担能力は、どんどん低下して、国力の背景が一変したことは、はっきりしています。それでも、軍事優先で総理はのぞまれるのか、また、経済の成長力と整合性のない負担を背負いこむことができるのか、はっきりさせていただきたいのです。


アジアの未来へ

 自由、民主、人権、平和を守り、発展させようという方向において、いまほどアジア諸国が共に議論しあい、協力しあうことができる共通の土台のできた時代はこれまでありませんでした。

 昨日、野中広務官房長官が、発表された北朝鮮に住む原爆被爆者の渡日治療受け入れを検討するというニュースは、よい報せでした。

 九月の江沢民・中国国家主席訪日に続いて、十月には金大中・韓国大統領が訪日されます。アジアの共通の未来のために、平和と安全のために、画期的な秋になるといえましょう。クリントン大統領との参勤交代のような首脳会談に比べ、中韓両国と、ともに未来を語りうる関係を築きうるかどうかの重要な会談となるでしょう。未来をかたる時に、両国民に対して、日本は、過去の歴史を忘れず未来に生かしていかなければなりません。小渕総理は、植民地支配と侵略の過去をどのように見ていらっしゃいますか。このことをお伺いし、「杖るは信に如くは莫し、頼りにするものは信義に勝るものはない」という古典にある言葉を戦後五十年の村山元総理が談話のなかで述べられていることを申し上げ、質問を終わります。