2006年5月1日
水俣病50年に当たって(談話)
社会民主党 幹事長
又市征治
- 本日、「公害の原点」とされる水俣病を行政が公式に確認してから、50年の節目を迎えた。チッソ水俣工場で水銀を触媒とするアセトアルデヒド生産が始まった1932年からは74年である。しかし未認定患者の救済、補償問題は解決のめどさえ立たず、現在も、認定申請や集団訴訟が起こっている。解決の糸口が見えず、被害者の全面救済という課題を積み残したままの節目の年を迎えたことに対し、政党としてきわめて重く受け止めている。
- 水俣病の補償の問題は、政権の課題の一つとして取り上げた村山内閣の95年の一時金の支払、総合対策医療事業の受付再開、地域の再生・振興等を内容とする解決案によって、ようやく大きな第一歩を踏み出すこととなった。当時の政治解決は、十分満足できるものではなかったが、司法判断が遅れて苦しんでいる被害者に対し、生きておられるうちに何とか救済したいという思いからの政治判断として緊急避難的に行われたものである。行政責任の棚上げなど、その不十分さはあったとしても、自民党単独政権では不可能であった。当時の三党連立政権における社会党の存在なしにはありえなかったことである。
- その後、2004年10月の水俣病関西訴訟最高裁判決は、「権限を行使せず、被害を拡大させた」として国と熊本県の水俣病被害拡大の不作為の不法行為責任を明確に認めるとともに、大脳皮質の損傷による感覚障害だけで水俣病と認定し、複数症状の組み合わせを求める現行の認定基準を事実上否定した。社民党は、村山政権による政治決着の意義を再確認した上で、明確な司法判断が出た以上、当時の状況下で時間との闘いの中で出された解決策に甘んじざるをえなかった被害者に対する補償の見直しを提起することとし、国、特に環境省及び県の行政責任について追及するとともに、認定基準の見直しなど患者救済を求めて取り組んできた。
- しかし政府は、77年基準の変更に一向に応じようとしない。最高裁判決を真摯に受けとめ、長きにわたり責任を認めてこなかったことについて、その責任を明確にし、被害者や家族の方々に謝罪すべきである。そして一刻も早く行政認定基準の見直しや政治決着した患者への追加補償などを行い、すべての未認定患者を救済することが必要である。国が認定基準を見直さない限り、水俣病問題は解決しない。50年の節目をもってして風化させてはならない。
- 水俣病の悲劇を貴重な後世の教訓として、水俣病の全面的な調査研究と検証を国の責任で行うことが必要である。また、汚染度が低いヘドロはまだ海に残されている。妊婦、胎児への健康問題はどうなるのかという現実の不安もある。不知火海沿岸地域の健康・環境調査を国の責任で速やかに行い、水俣病被害の実相を明らかにすべきである。
- 水俣病拡大の背景に、地元経済に大きな影響を持つ企業に対する遠慮があったとされるが、その結果の犠牲は、あまりにも重過ぎる。その後も、大気汚染に抜本的な対策は採られておらず、薬害被害の拡大やアスベスト公害も放置されてきた。とても水俣病の教訓が生かされてきたとはいえない。残念なことに、人間の生命や健康、人権よりも企業や業界の利益や効率性を優先する政府の姿勢に、ますます拍車がかかっている。我が党の今日的責務として、水俣問題の解決はじめあらゆる公害・環境問題の前進と人間尊重の社会づくりのために今後とも奮闘していきたい。
以上