1999年12月28日

 

米軍普天間飛行場の名護市への移設に関する閣議決定について(談話)

 

社会民主党全国連合 
幹事長 渕上 貞雄

 

1、 本日、政府は、在沖米海兵隊の普天間飛行場の名護市への移設に関する閣議決定を行った。歴史に汚点を残すことで、1999年を締めくくったとしか、他に言い表す言葉がない。
 2000年7月の沖縄サミット開催決定をテコとして、沖縄県民自らが戦後一貫して拒み続けてきた米軍基地を、自らが受け入れるという政府の狡猾なシナリオを、断じて認めることは出来ない。

2、 政府は、不況のもとで苦悩する名護市を中心とした北部に、10年間で1千億円を投入する「アメ」をちらつかせ、稲嶺沖縄県知事と岸本名護市長に次々と受け入れを表明させ「白紙委任状」を受け取った。
 しかし重要なことは、一切、明かにされていない。基地の規模、海上なのか、埋め立てなのか、工法や環境アセスメント等、全く示されていない。しかも、1997年12月の、名護市の市民投票で、反対派が過半数を占めた事実を踏みにじるものであり、許されるものではない。

3、 最も重要なことは、県知事と名護市長が基地の使用期限を15年とすることが必要だと発言しているが、しかし、米国はこの15年期限に明確に反対しており、15年期限の実現は不可能だということが明白であるということである。1997年9月29日付けで作成された、米国防総省報告で「運用年数は最低でも40年、耐用年数は200年として設計されるべきだ」とする、米国の決意が示されており、政府は、沖縄県民のみならず、日本国民に対して、真実を語るべきである。
 政府の描いたシナリオに対して、「命どぅ宝(生命こそ宝)」の歴史を背負った、名護市民はすでに基地移設反対の意思を明らかにしており、必ずや異議申立ての行動に起ち上がるに違いない。

4、 1991年にフィリピンでは、米軍のクラーク空軍基地と、スービック海軍基地が閉鎖され、この12月23日には、ドイツにある米軍ライアン基地返還協定の署名が行われた。米国の自治領、プエルトリコ・ビスケス島では「米軍基地撤去」の運動が盛り上がっている。米軍基地の閉鎖や縮小が世界の趨勢である。
 わが党は、21世紀が平和な世紀であることを願いながら、沖縄にある米軍基地の整理・縮小、そして撤去を目指して強い決意で臨むことを、この際あえて強調しておきたい。

以  上