2001.6.21
社会民主党全国連合
幹事長 渕上 貞雄
基本方針の一番の問題点は、「国民の生活再建」の視点が決定的に欠落しているところにある。
構造改革という装いは立派だが、「弱者にはさらなる痛みを」、「富める者にはいっそうの利便(利益)・活力を」という、新自由主義に基づく発想から、出るものとはなっていない。
このような“総花的なもの”よりも、雇用や年金に係る将来不安の解消策などに特化した具体案こそが示される必要があった。それがない限り、GDPの約6割を占める個人最終消費が好転することは困難といえる。
要するに、構造改革推進へ欠くことのできないセーフティネットのための財源すら用意できないと、批判せざるをえない。
国民はすでに、現連立政権の無為な政策等によって強いられたともいえる負担・痛みを、十分過ぎるくらいわかち合ってあってきた。
企業を救うことで個人も助けるという、これまでのやり方では、本質的な解決につながらないことに、もう、気付くべきだ。
社民党は、5月11日、『「人」から元気にする経済活性計画』をまとめた。その眼目は、「企業が潰れることはあって、人は潰れない」という仕組みの構築、つまりは、「社会の設計図」全体を描き直すことにある。 いずれにしても、いま最優先で求められていることは、マクロの構造改革論の前に、「ミクロ(最低限)の生活権」保障であることは明らかだ。
財政破綻が迫っているという「脅しの論理」に屈する必要はない。
自公保流の成長政策は、2001年度末で666兆円にものぼる借金を積み上げる一方、限られた業界・階層にとっての喜ばしい状況をもたらすだけに終わってきた。大多数の国民には、近い将来の増税不安が大きくなるだけであり、財布の紐がゆるむどころではなかったといえる。
国民(の生活)あっての国である。いたわりが確保された財政再建は十分可能だ。国民全体で経済成長の恩恵を共有できる「生活再建重視型」の財政健全化プログラムが実行されなくてはならない。
社会保障制度の改革について、「給付は厚く、負担は軽くというわけにはいかない」として国民に「給付は軽く、負担は重く」を強いるものであるばかりか、一貫して国の責任の撤退が追求されている。「国民の『安心』と生活の『安定』を支える」とされているが、「国の安心と制度の安定」のためのものとしか思えない。あからさまな「福祉後退宣言」である。メニューは豊富だが、随所に公的責任の撤退や弱者切り捨ての視点、また、事実誤認としか言いようのない不用意な表現も多い。
年金、医療、介護の効率的な組み合わせは必要だが、国民はそれぞれの制度に対し保険料を払っているのであり、「重複給付の是正」などと受益者をフリーライダーのように扱うことは国民を愚弄している。
医療制度については、橋本内閣当時、社民党は「抜本改革なくして負担増なし」との態度で与党協議に断固たる態度で臨んだにもかかわらず、自民党及び小泉厚生大臣は医師会や製薬業界などの抵抗に屈し(小泉大臣は医師会からの献金が1千万円あった)、医療制度の改革を単なる医療費の値上げにしてしまった。この時の反省から自社さで合意された医療制度の抜本改革案はすべて先送りされている。問題点が明確になってるにもかかわらずこれまでに改革ができなかったことから、今後も期待は
できない。
また、所得によって受診が区別され、フリーアクセスの阻害要因となる「混合医療」の導入は断じて容認できない。
基礎年金の国庫負担割合の引き上げは、国民への公約であり速やかに行わなければならない。にもかかわらず、「安定した財源確保の具体的方策と一体的に鋭意検討する」とされ、ほぼ先送りされているといってよい。ここでも国の責任が回避されている。
「個性ある地方の競争」とは、自助努力・自己責任による自治体間競争を促すことで、自治体行財政に対する国の責任を放棄するものである。すなわち地方交付税が自治体の甘えを生んでいると断罪することでこれを削減することは、、住民に密着した身近な生活サービスの切り捨てや、地域間格差の拡大につながりかねない。今、最も緊急に改革すべきことは、税財源の自治体への移譲であり、これを通した我が国税財政全体の改革である。したがって政府は、地方債をテコとした自治体の財政誘導や官治的市町村合併をやめるべきである。こうした課題を抜きにして、地方分権を基礎とした「構造改革」はありえない。