(社会新報8月30日号1面より)
敗戦から78年を迎えた8月15日、フォーラム平和・人権・環境の主催による「戦争犠牲者追悼 平和を誓う8・15集会」が東京・千代田区の千鳥ヶ淵戦没者墓苑で開かれ、約180人が参加した。無名戦没者の遺骨を納めた六角堂の前で、社会民主党の大椿ゆうこ副党首(参院議員)が「誓いの言葉」を述べた。
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大椿副党首は「誓いの言葉」の中で、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑に眠る、戦争によって命を奪われた全ての皆さまに、心から哀悼の意を表します」と述べた。
副党首は今年7月に韓国を訪れた際、三菱重工業名古屋航空機製作所で強制労働をさせられた、元徴用工の梁錦徳(ヤン・クムドク)ハルモニと面会したことついて「戦争は社会の中にある差別構造を利用し、排外主義を強化し、人間の尊厳と命を奪うということを、ハルモニは私に教えてくれた」と語った。
また、副党首は国会に危機感を表明した。
「私はこの4月に国会議員になったばかりだが、国会に行って驚いた。防衛財源確保法案について、本会議場で『核共有』を検討すべきだと平気で主張する野党議員がいた。さらに驚いたのは、議場が騒然とすることもなく、怒号が飛び交うこともなかったこと。『また言っている』とやり過ごすかのような議場の空気に、私は強い危機感を覚えた」
正午に黙とうを捧げ、主催者を代表して、フォーラム平和・人権・環境の勝島一博共同代表がすべての戦争犠牲者への誓いの言葉を読み上げた。立憲民主党の近藤昭一衆院議員が同党代表の談話を代読し、大椿副党首の他、阿部知子・立憲フォーラム副代表、内田雅敏・戦争をさせない1000人委員会事務局長が追悼の言葉を述べた。その後、参加者が墓前に献花した。
靖国神社では国会議員67人が集団参拝
アジア太平洋戦争での日本敗戦から78年を迎えた8月15日、台風の余波もあり、東京・九段北の靖国神社は例年と比べて人の出が少なかった。
この日、高市早苗経済安全保障担当相が靖国神社を参拝した。「国務大臣」と記帳し、私費で玉串料を納めたという。
岸田文雄首相は参拝せず、代理人を通じて「自民党総裁」として私費で玉串料を納めた。
高市大臣は参拝後、「国策に殉じられた皆様の御霊(みたま)に哀悼の誠を捧げ、感謝の思いを伝えた」と記者団に語った。
「敗戦の日」に閣僚の靖国参拝が確認されたのは4年連続。
この日、超党派議員連盟「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」の国会議員67人も集団で参拝した。国会議員のほとんどが自民と維新で、岸田内閣の副大臣と政務官の計8人もこの中に含まれる。同議員連盟としての「敗戦の日」の一斉参拝は4年ぶり。
この他、自民党の役員や元大臣らも参拝した。
A級戦犯らも合祀
日本は1951年、サンフランシスコ平和条約で極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決を受け入れ、戦争責任を認めた。
だが、靖国神社にはBC級戦犯とされた人たちが合祀されているのみならず、1978年には東京裁判でA級戦犯とされた14人(判決前に病死した文字間づめ2人を含む)も合祀された。
このことから、日本の首相を含む閣僚や国会議員ら「国民の代表」による靖国神社への参拝や玉串料などの奉納は、特にA級戦犯を英霊として認め、東京裁判の判決を踏みにじることを意味する。当事者らがいくら否定しようが、公職者の行為は外形的に判断されるべきものだ。
また、こうした行為は、憲法20条第3項の「政教分離原則」に抵触する可能性も高い。
中国や韓国の政府は、今回の日本の首相や閣僚などの行為に対し、反発と遺憾の意を示している。
日本の首相や閣僚・国会議員によるこれら行為は、外交より「内交」を優先させた、つまり支持者やその予備軍へのアピールを優先させた結果ではないか。
こうした軽率な行為の集積は、日本の外交に損失をもたらし、国民益を大きく損なう。
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(メモ)【千鳥ヶ淵戦没者墓苑と靖国神社】千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、1959年に皇居のお堀に面して創設された。日中戦争・アジア太平洋戦争における海外戦没者のうち、遺族に引き渡すことのできなかった遺骨を安置している。昨年5月現在、37万余柱。
靖国神社は、1869年に明治天皇の発議により東京・九段北に創建された招魂社から、79年に改称された神社。
戊辰戦争(1868~69年)以降の国内戦争と対外戦争で、「国家のために命を捧げた人々の御霊(みたま)」246万6000余柱がまつられているという。昭和に入り、国家神道の役割を強めた。