(社会新報2022年3月16日号1面より)
去る1月27日、東京電力福島第1原発の事故発生時に福島県内で暮らし、当時6歳~16歳の子どもだった男女6人が、東電に損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。現在は17歳~27歳になっている原告たちだが、全員が10代で甲状腺がんを発症し、甲状腺の切除や摘出手術を受けている。
6人が東電を提訴
提訴したのは、そのがんが原発事故による被ばくに起因するとしか考えられないからだ。原告は、もし被告がそれを否定するなら他に原因があるとの立証責任は被告の東電にあるとしている。
同日、村山富市元首相など5人の元首相が連名で、EU(欧州連合)に福島第1原発の事故で「多くの子どもたちが甲状腺がんに苦しみ」との一節を含む書簡を送った。これに対して岸田文雄首相は、「誤った情報」だと決めつけ、「いわれのない差別や偏見を助長する」と批判した。そればかりか、福島県までも「科学的知見に基づいた正確な情報発信が福島復興にとって極めて重要」と主張。これは自民党の小泉進次郎氏が環境相だった昨年7月に環境省が始めた「ぐぐるプロジェクト」の「東京電力福島第1原子力発電所事故以降、放射線に係る健康影響への不安を抱える住民等に対するリスクコミュニケーションを実施するとともに、放射線の健康影響に関する風評を払拭(ふっしょく)するため」に沿う内容で、原発震災被害に対する自公政権と福島県の一貫した過小評価と、なかったことにしたい意図の表れだ。
しかし、通常、小児甲状腺がんの発症数は年間100万人に1~2人といわれる中で、福島県では昨年7月までに少なくとも287人が甲状腺がんと診断され、219人が手術を受けている。これは決して風評ではなく、実害ではないのか。原発事故の影響を小さく見せようとする国や県の姿勢が、冒頭の原告たちを裁判に訴えさせた大きな一因だろうし、被災者を11年後の今も苦しめ続けているのだ。
想像外の放射能汚染
「10年経った今だから分かってきた放射能被害があります。根から吸い上がったセシウムが木の葉に入り、木の葉が地面に落ちて腐り、腐葉土となる。その腐葉土からセシウムがまた木に吸い上げられることを10年間、繰り返しているということ。セシウムが自然の循環体系に入り込んでしまった。しかも汚染された腐葉土を使った土からジャガイモなど野菜へのセシウムの移行率が、私の実験では43倍に跳ね上がる」
そう話すのは、飯舘村の伊藤延由さんだ。伊藤さんは、同村が避難区域に指定され、全村避難となった飯舘村を追われて以降も、避難先から村に通い、避難指示解除後は村に戻って放射線量や土壌や山菜、キノコ、あるいは福島で栽培された農産物などの放射能を測り続けてきた。大学教授などの専門家の指導を受け、また共同で村の放射能測定した結果から、伊藤さんは10年後の村の状況を、以下のように総括する。
「酪農や和牛の肥育などの畜産業から出る堆肥を使った高冷、寒冷地農業や、里山の腐葉土や野焼きした灰も畑に入れて肥料とする循環型農業が盛んだった飯舘村。その腐葉土や野焼きした灰が使えなくなってしまった。それが事故10年後に分かった現実。放射能汚染の被害の深刻さに目を向けるべきだ」
覆水盆に返らず
福島原発の事故によって放出された放射性物質の約半分は放射性ヨウ素131で、半減期は8日。すでに消えてしまって現在では測定不可能だ。しかし、11年前に呼吸や飲食によって体内に取り込み内部被ばくしてしまった事実は覆せない。当時子どもだった約38万人は、今後も甲状腺検査を受け続けなければならない。不安を生涯、抱え続けることになるのだ。
また、残りの放射性物質の大半を占めるセシウムの約半分のセシウム134の半減期は2年で、これも32分の1程度に減衰した。しかし、残るセシウム137は半減期30年。次の次の世代くらいでは消えることはない。避難指示が解除されても住民の8割、9割の住民が戻らないのは当然とも言える。覆水盆に返らずである。
故郷に帰った人々も外部被ばくから逃れることはできない。この重い現実は、決して「風評」ではない。
↑26歳になっても甲状腺のエコー検査を受けざるを得ない青年(2021年10月、郡山市)。
↑土壌の放射能測定のためのサンプリングをする伊藤延由さん(2021年4月、飯舘村)。
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