社会新報

【主張】戦後77年と原水禁運動~被爆の実相をどう継承していくのか

(社会新報8月24日号3面より)

 

 戦後77年となる夏を迎えた。ウクライナ戦争の勃発は全世界に大きな衝撃を与えた。すでに開戦から半年が経過したが、停戦のめども立たない。
 7月の参院選では憲法改「正」や防衛費の大幅な増額を主張する勢力が参院で改憲発議に必要な3分の2以上を占めた。
 一方、世界に目を転じると、6月にウィーンで核兵器禁止条約の第1回締約国会議が開かれ、ウィーン宣言と行動計画が採択された。
 被爆者の平均年齢は84歳を超え、これまで原水禁運動の先頭で闘ってきた被爆者も相次いで亡くなっている。自らの被爆体験を語れる人が次第に減っていることを意味する。
 どう運動の継承を図っていくか、関係者は頭を悩ませ、大きな課題となっている。しかし、展望も確実に生まれている。若者の平和運動への参加が顕著となっていることだ。締約国会議しかり、原水禁大会しかりだ。
 原水禁大会では広島でも長崎でもこうした点をテーマとした分科会が開かれた。原水禁運動で注目を浴びてきたのは長崎県から始まり、今や16都道府県から参加がある「高校生平和大使」や「高校生1万人署名活動」だ。
 「ビリョクだけどムリョクではない」がスローガンのこの活動を支えてきた高校生平和大使派遣委員会共同代表の平野伸人さんは、四半世紀に及ぶ活動を次のように報告した。
 「長崎で平和運動に取り組んできたが、若い人が全然いなかった。同じメンバーで同じようなことをやってきた。若い人に引き継がねば終わりになると、風船飛ばしやロックコンサートなどをやったが、成功したためしがなかった。若い人は自分がやるべきことが分からないのが原因だと気づいた。大人は道筋の手助けをしていけば育っていくのではないかと思った。1998年のインド・パキスタンの核実験を契機に平和大使の活動がスタートした。これまでに429人が平和大使となり、2001年から始まった署名活動には6000人が参加した」。
 彼らの中から原水禁大会の運営に関わるメンバーも生まれている。関係者の期待も大きい。
 翻って私たち社民党にも、参院選で若者たちから社会への不安や不満、そして社民党への期待が寄せられた。原水禁運動の教訓にも学びながら、若者たちの信頼を勝ち取りたい。