アフガン戦20年 米国が敗退ー「9・11」以前から計画された「テロとの戦い」ー
(社会新報2021年9月8日号1面より)
20年に及ぶアフガニスタンでの戦争が、8月15日のタリバン勢力による首都カブールの奪還と31日の米軍完全撤退で終息を迎えつつある。事態はまだ流動的だが、少なくとも米国とその息のかかった政権が、同国の支配を再び取り戻す可能性は乏しい。46年前のベトナムと同様、史上最強の軍事力を誇る米国が混乱のうちに敗退する姿を再び全世界にさらけ出した。
米国議会では、今回のタリバンの大攻勢と旧アフガニスタン政府の急速な崩壊をもたらしたのが、バイデン政権による「拙速な米軍撤退」の決定にあるとして責任を追及する声が出ている。だが問われているのはこの戦争自体の違法性であり、正当性の欠如にほかならない。
なぜなら第一に、米国はアフガニスタン戦争を2001年の「9・11事件」と関連付け、「被害国」として反撃したかのように見せかけている。だが、米軍が同国に侵攻する「不朽の自由作戦」を準備したのは、「9・11事件」の以前からだからだ。パキスタンのニアズ・ナイク元外相は01年9月18日に放映された英BBCのニュース番組で、同年7月に米国政府の高官から「遅くとも10月半ばまでに」アフガニスタンへの軍事行動を開始すると通告されたと、証言している。
同じような証言は複数存在するが、AFPの02年7月23日付の配信記事でも、米軍の訓練・部隊配置を担当する「統合戦力軍」(11年廃止)のウィリアム・カーナン司令官(当時)が「『不朽の自由作戦』の大半は、2001年5月に中央軍によって練られた作戦計画に基づいている」と発言している。「中央軍」は中東や中央アジアを管轄する地域別統合軍だが、「9・11事件」の4ヵ月前に戦争計画はほぼ完成していたのだ。
第二に米国は、「9・11事件」を「アルカイダ」の創立者であるウサマ・ビンラディンの「犯行」とした上で、「タリバンがビンラディンを引き渡すのを拒否した」(オバマ元大統領の09年8月の発言)という口実で、アフガニスタン戦争を正当化している。
米国は証拠を出せず
だがタリバン政権は、10月の空爆開始後も米国に「ビンラディンが『事件』に関与したという証拠を提示すれば、イスラムの第三国に引き渡す」と言明している。しかしブッシュ政権は、「証拠」も示さず外交交渉も拒絶し、一方的な武力攻撃を続けた。加えて当初の言明に反して、米国政府もFBIも、これまで一度も「証拠」を提示していない。
第三に米国は、国連憲章第1章で定められた「国際紛争の平和的手段による解決」という原則も、第7章の武力行使における国連安保理の決定という手続きも無視し、戦争を強行した。
しかも、「事件」の実行犯とされる19人の「テロリスト」のうちアフガニスタン人は一人もおらず、アフガニスタンという国家が「事件」を引き起こしたのでもない以上、米国はビンラディンを「首謀者」と見なすなら、まず刑事手続きに従って本人を国際手配するのが先決のはずだった。だが、これも無視した。
このように米軍のアフガニスタン侵攻は不当・不必要で、違法だった。だが、「9・11事件」の巨大な衝撃と米国への「同情」が国際世論の判断力をまひさせ、米国の戦争を追認する結果となったというしかない。
しかもブッシュ政権はアフガニスタン戦争を「テロとの戦い」と呼んで侵略政策を拡大し、「フセイン政権の大量破壊兵器保持」や「テロリストのつながり」といったデマを流しながら、次に03年3月にイラク戦争を引き起こした。
だが、米国が名指しするような「テロリスト」の源流は、そもそも1970年代後半から米国がアフガニスタンで支援し、中東など国外からも流入させたイスラム原理主義勢力だ。
米が育てた原理主義
アフガニスタンでは1979年4月、農地改革や女性の権利尊重など進歩的な政策を掲げた親ソ連派のアフガニスタン人民民主党が内部対立を抱えながら政権を掌握。ところがカーター政権はこれを転覆するため、同年7月にこうした政策に反対する原理主義勢力への軍事支援を始めた。国内が混乱して旧ソ連軍が同年末に軍事介入すると、さらに支援を強化した。81年1月に発足したレーガン政権も同勢力を「自由の戦士」と呼び、旧ソ連軍の打倒のため数十億㌦を投じた。
米国のこうした介入で激化した内戦から、ビンラディンが台頭して「アルカイダ」が創設され、タリバンも生まれた。だがその責任には頬被りし、一転して「対テロ」と称して戦争を始めた米国の二枚舌は許されるのか。
40年以上に及ぶ米国のアフガニスタン介入は、計り知れない数の非戦闘員を殺傷し、難民に追いやる大惨事をもたらした。世界がこれからも米国の無法を許すなら、巨大な戦争犯罪と悲劇が繰り返されるだろう。
米国が「9・11事件」以前からアフガニスタンへの軍事侵攻を計画していた理由については、主に二つの説がある。一つは、アフガニスタンは旧ソ連圏の中央アジア諸国やイラン、中国と国境を接する絶好の戦略的位置にあり、米軍の影響下に置きたかったということ。もう一つは、カスピ海のエネルギー資源をイランを経由せずにインド洋に積み出すためのパイプラインはアフガニスタンに建設するしかないが、そのためにタリバン政権は邪魔な存在だったというもの。だが確かな理由は、現在まで見出されていない。