(社会新報9月19日号1面より)
歴史に向き合い、過ちを繰り返さないことを誓う、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺101年犠牲者追悼大会」が8月31日、都内で催された。学者やジャーナリストらのリレートークが行なわれ、約450人が参加した。
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集会の第1部は追悼式。実行委員会共同代表の田中宏・一橋大学名誉教授が開式あいさつを行ない、「明治以来、この国はあまりに自国民のことだけを考えているのではないか。その中で虐殺事件が起きた。今日に残している課題ではないか」と問題提起した。
遺族代表らが献花台に花をささげ、参加者一同で黙とうした後、国会議員らのメッセージが読み上げられた。社民党の福島みずほ党首も登壇。「去年、国会で3回、質問したが、虐殺の記録や判決はあるのに、岸田政権は『調査した限り、政府内に事実関係を把握できる記録が見当たらない』と言っている。これを覆したいと思っている」と述べ、「平和と差別撤廃が手を携えてやってくる社会を皆さんと一緒につくっていきたい」と呼びかけた。
舞踏家の曺和仙さんによる追悼の舞の後、第2部が開幕。実行委員会の藤田髙景事務局長があいさつし、「安倍政権は多くの悪政を残したが、歴史認識でも悪行を残したことを皆さんと共にあらためて確認したい」と熱弁をふるった。
当時の新聞が恐怖煽る
虐殺についてのリレートークでは、明治大学の山田朗教授が最初に発言。虐殺に至る歴史的構造について「戦争が植民地支配を生み、植民地支配が国内の暴力的な支配体制を生み、それが次の戦争を招く」とまとめた。
その上で、韓国併合に対する三・一独立運動以降、「大阪毎日新聞や東京日日新聞などが朝鮮人を『不逞鮮人』と呼び、何をやるか分からない過激な人たちというイメージが広められた」と、当時の日本のメディアが差別をあおったことを指摘。「当時の内田康哉外相が1920年10月7日に声明を出し、『このままでは、いつ第2の尼港事件(同年に内戦状態のロシアでパルチザンが日本人居留民を虐殺した事件)のようなことが起こるか分からない状態だ』と言ったのは大変なこと」「朝鮮人や中国人の人々は、天皇制国家としての日本を脅かし、国民の結束を乱す『内敵』として殺された」として、メディアや政府が先入観や恐怖をあおったことが虐殺を招いたと指摘した。
ヘイト解消法の効果
ジャーナリストの有田芳生さんは、ヘイト犯罪や人種差別主義は現代の課題であると問題提起。その具体例として、「在日クルド人に標的が向けられている」と危機感を示した。また、2016年に成立したヘイトスピーチ解消法に触れ、「理念法のため罰則がないが、これがあったから、(神奈川県の)川崎市の罰則付きの条例ができた。川崎市でのヘイトスピーチ参加者数は、40人からたったの4人に減った」として、法律や条例の重要さを訴えた。
公文書の意味をなくす
オンラインで参加した専修大学の田中正敬教授は、関東大震災時の虐殺事件についての質問主意書に対する政府答弁を解説。「虐殺等を記載した公文書について『調査した限りでは政府内に見当たらない』と答弁しているが、国会図書館や防衛省内にあった。それを指摘されると、『政府内で作成された文書であることを確認することができる記録が見当たらない』と答える。文書が作成されたことを別の文書で確認することが必要なら公文書は意味がなくなる。そこまでして、政府は虐殺を認めたくない」「現代の文書である内閣府中央防災会議で作成された報告書にある虐殺関連の記述を問われても、『有識者が書いたもので政府は関知しない』と答弁するが、中央防災会議の座長は首相。あまりに無責任」と憤った。
米国からはサンフランシスコ「慰安婦」正義連盟の金美穂さんがビデオメッセージを寄せた。金さんは現地市民団体の共同声明として、「関東大震災における虐殺の国家責任を認めることは真の意味で日本が帝国主義から脱却するために不可欠な一歩である」と訴えた。
集会の最後に藤田事務局長は、「また来年も追悼大会を行なう。勝つまでやる」と力強く宣言した。