社会新報

被爆78周年 原水禁世界大会~核も戦争もない21世紀へ ~4年ぶりリアル完全実施

(社会新報8月23日号1面より)

 

広島大会の開会総会には2100人が参加した。

広島大会の開会総会で主催者あいさつをする金子共同実行委員長。

長崎大会の開会総会であいさつする川野共同実行委員長。

 

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 被爆78周年原水爆禁止世界大会が8月4日から6日まで広島市で、7日から8日まで長崎市で開催された。コロナ禍の影響で変則的な大会が続いていたが、今年はほぼコロナ禍以前の形式と規模で開催することとなった。

広島大会の開会総会

 広島大会は4日から6日に行なわれた。35度を超す猛暑の中、「折鶴平和行進」に続いて、広島県立総合体育館で開会総会が行なわれた。全国から約2100人が参加した。

 総会では金子哲夫大会共同実行委員長(原水禁共同議長)が登壇し、今年5月のG7サミットで岸田首相が被爆地広島を利用して核抑止論・核兵器保有を正当化したことや、被爆の実相を一切無視した「広島ビジョン」を発表したことを厳しく非難。ロシアがウクライナの原子力発電所周辺で軍事行動を展開していることからも「大国が核兵器を保有しているから平和が保たれている」とする核抑止論は完全に破綻しており、核廃絶なくして被爆者の救済はあり得ないことを再確認した。

 福島県平和フォーラムの引地力男さんは、福島第1原発事故被害の回復・除染作業も進まない中で、政府が(海洋放出を推奨するものではない旨が明記されているにもかかわらず)IAEA(国際原子力機関)の「お墨付き」を得たとばかりに放射能汚染水の海洋放出を強行しようとしていることに強く抗議し、この問題に関心を持ってもらえるよう展開中の「ミライノウミプロジェクト」を紹介した。

 広島県被団協のくわもと勝子さんは、当時6歳で被爆した体験を語った。くわもとさんは爆心地から3・5キロの場所で被爆した。当時、くわもとさん一家と近所づきあいをしていた年上の女性が、被爆して肉が失われ、骨と薄い皮膚だけになった腕や脚を見せてくれた思い出を語った。その女性が、くわもとさんに被爆体験を人前で話すことを強く勧めてくれたという。

 被爆者の思いを受け継ぐ若い世代からは、国内外に被爆の実相を伝える高校生平和大使や1万人署名活動などが紹介された。大使の一人は、多言語による被爆証言の発信に取り組みたいという熱意を語った。

 2011年の東日本大震災・福島第1原発事故を契機に、速やかに脱原発を決定し、今年3月に国内すべての原発の運転を停止したドイツからは、緑の党のハーアルド・イブナーさんからメッセージ動画が寄せられた。ロシアがウクライナの原発を軍事紛争の人質に取っていることから、「平和のための原子力」は現在も過去も誤っていると訴えた。

 広島大会は5日の分科会とフィールドワーク、6日のまとめ集会まで、全日程を無事終了した。

長崎大会の開会総会

 被爆78周年原水爆禁止世界大会・長崎大会が8月7日に開かれ、約800人が参加した。

 川野浩一大会共同実行委員長は、「核兵器禁止条約の制定を被爆者として飛び上がって喜んだ。核兵器は悪という規範が成立したからだ」と述べた上で、「ところがその場に肝心のわが国の政府の姿はなかった、核兵器保有国と非保有国の“架け橋”を公言しているが、信用する国はどこもない。今こそ『憲法を守れ、核をなくせ、核禁条約に賛同せよ』と叫ぼう」と訴えた。

 また、長崎で被爆しながら、当時、長崎市の行政区域外であったことから被爆者健康手帳が取得できず、「被爆体験者」として扱われたことは、不当であり差別だとして裁判闘争が続いている。大会では第二次原告団団長の山内武さんと裁判を支えてきた池田章子長崎市議(社民党)が報告。第一次訴訟は最高裁で敗訴したが、「被爆者は高齢化しており、厚労省は被爆者の死をもって解決しようとしているとしか思えない。国に責任を取らせるため全力を挙げる」と決意を述べた。

 引き続き開かれた、放射能汚染水の海洋放出に反対する国際シンポジウムでは、福島県代表のほか、米国、マーシャル、韓国の代表も参加し、海洋放出反対の取り組みを強めることを確認した。翌8日には分科会や「ひろば」などが開かれたが、9日に予定されていた閉会総会は台風6号の接近により中止となった。