社会新報

【被爆79周年 原水禁世界大会】被爆の実相を語り継いで~核も戦争もない21世紀に

広島大会の開会総会には2200人が参加した。(4日、広島市)

広島大会の総会であいさつする金子哲夫大会共同実行委員長。

被爆の実相を国内外に伝える高校生平和大使や1万人署名活動などが紹介された。

 

(社会新報8月22日号1面より)

 

 被爆79周年原水爆禁止世界大会が、8月4日から6日まで広島市で、7日から9日まで長崎市でそれぞれ開催された。広島と長崎の開会総会の内容を報告する。(分科会報告など詳報は次号8月29日号に掲載、福島大会は22日号8面に掲載)

広島大会の開会総会

 広島大会は8月4日、平和記念公園を出発した「折鶴平和行進」の後、広島県立総合体育館で全国から約2200人が参加して開会総会が行なわれた。
 主催者を代表して金子哲夫大会共同実行委員長(原水禁共同議長)が「ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエルによるガザ地区での戦闘激化に伴い、今や核使用の危機が高まっている。大量の命を失う核兵器の使用をさせないため、全ての軍事行動を停止し、多くの子どもたちの命を奪うことをやめさせるよう速やかに協議を開始すべきだ」と訴えた。金子委員長は「核兵器廃絶が全ての被爆者の願いだが、平均年齢が85歳を超えて残された時間も少なくなっている」と指摘し、来年の被爆80周年に向けて日本が核兵器禁止条約に署名・批准することを強く求めた。
 続いて被爆者を代表して広島県被団協の田中聰司さんが登壇。1歳の時に原爆投下後に母親と共に入市して被爆したことを語り、「長い間、被爆者であることを隠し、なるべく触れないようにしていたが、大学卒業後、広島に戻って中国新聞で働き始めて、『原爆小頭症』患者の取材を通じて胎内被爆が続いていることに衝撃を受けた。被団協の運動に参加した理由だ」と、核廃絶運動に関わった経緯を振り返った。
 田中さんは働き盛りの50代でガンを患い、闘病生活をしながら運動を続けた。最後に、「日本は核兵器禁止条約に参加しようとすらしない」と厳しく批判した。
 また、国内外に被爆の実相を伝える高校生平和大使も報告。「私たちは微力だが無力ではありません。これからも国内外で核兵器廃絶と平和を強く訴えていきたい」との決意を表明した。最後に「原爆を許すまじ」を合唱して終了した。
 広島大会は5日の分科会とフィールドワーク、6日のまとめ集会まで、全日程を無事に終了した。

長崎大会の開会総会

 原水禁長崎大会の開会行事は7日午後、長崎市内で開かれ、約1000人が参加した。
 主催者を代表して川野浩一実行委員長(原水禁国民会議共同議長)があいさつ。被爆者の川野委員長は「平和憲法が危機的状況にある。平和憲法に基づく平和外交こそ、われわれを守る唯一の方策だ」と強調。その上で核兵器は悪とした核兵器禁止条約の成立を「飛び上がって喜んだ。しかし、そこにわが国の姿はなかった。日本こそ核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と訴えた。
 中国人民平和軍縮協会の安軍月秘書長のスピーチに続いて「被爆体験者」訴訟の現状について池田章子長崎市議(社民党)が報告した。
 「被爆体験者」とは、長崎への原爆投下の日に爆心地から12㌔圏内に居住していたのに、国が指定する旧長崎市に含まれない地域のため被爆者とは認められない人たちのこと。これは差別だとして07年11月、「被爆体験者」395人が長崎地裁に提訴し、17年の最高裁判決で敗訴したものの、18年に再提訴し、今年9月に判決が予定されている。
 池田市議は「本来なら3号被爆者(被爆地以外でも救護や看護にあたった人を指す)に該当するはずで、広島の『黒い雨』裁判と共通している。ぜひ判決に注目してほしい」と訴えた。
 さらに「3・11」から13年余りを経た福島の現状について福島県平和フォーラムの角田政志共同代表が報告した。

 

長崎大会の開会総会。(7日、長崎市)

長崎大会の開会総会であいさつ川野浩一大会共同実行委員長。

 

長崎大会の開会総会

 原水禁長崎大会の開会行事は7日午後、長崎市内で開かれ、約1000人が参加した。
 主催者を代表して川野浩一実行委員長(原水禁国民会議共同議長)があいさつ。被爆者の川野委員長は「平和憲法が危機的状況にある。平和憲法に基づく平和外交こそ、われわれを守る唯一の方策だ」と強調。その上で核兵器は悪とした核兵器禁止条約の成立を「飛び上がって喜んだ。しかし、そこにわが国の姿はなかった。日本こそ核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と訴えた。
 中国人民平和軍縮協会の安軍月秘書長のスピーチに続いて「被爆体験者」訴訟の現状について池田章子長崎市議(社民党)が報告した。
 「被爆体験者」とは、長崎への原爆投下の日に爆心地から12㌔圏内に居住していたのに、国が指定する旧長崎市に含まれない地域のため被爆者とは認められない人たちのこと。これは差別だとして07年11月、「被爆体験者」395人が長崎地裁に提訴し、17年の最高裁判決で敗訴したものの、18年に再提訴し、今年9月に判決が予定されている。
 池田市議は「本来なら3号被爆者(被爆地以外でも救護や看護にあたった人を指す)に該当するはずで、広島の『黒い雨』裁判と共通している。ぜひ判決に注目してほしい」と訴えた。
 さらに「3・11」から13年余りを経た福島の現状について福島県平和フォーラムの角田政志共同代表が報告した。