社会新報

袴田再審無罪判決の確定を~日本記者クラブ会見で姉ひで子さん、検察控訴「すればいい」と批判

2014年に再審開始となり釈放された袴田巌さん(同年5月23日、日比谷野音)

日本記者クラブで会見する袴田巌さんの姉・ひで子さん(右)と小川秀世弁護士=写真は日本記者クラブ提供。(9月30日午後、千代田区)

袴田巌さんの再審無罪判決を受け、笑顔を見せる姉・ひで子さん(中央)。(9月26日、静岡市)

 

(社会新報10月10日号1面より)

 

 再審判決で無罪となった袴田巌さんの姉・ひで子さんと袴田事件弁護団事務局長の小川秀世弁護士が9月30日、都内の日本記者クラブで会見した。同月26日に静岡地裁の「袴田事件」再審裁判で無罪判決が出されたことを受けて開かれたもので、国内外から多くの記者が詰めかけた(2面に党談話を掲載)。

獄中に47年7カ月間

 1966年6月に静岡県清水市(現・静岡市清水区)で一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件で逮捕・起訴された袴田巌さんは、警察の長期にわたる強引な取り調べにより、いったんは「自供」したものの、裁判では「拷問により自供させられた」と無罪を主張。しかし、80年12月の最高裁判所において死刑判決が確定した。
 袴田さんは翌81年4月に静岡地裁に第1次の再審の申し立てを行なうも、94年8月に請求が棄却されたため、東京高裁に即時抗告を行なった。2008年3月には東京高裁でも請求が再び棄却された。しかし翌4月、袴田ひで子さんを中心に静岡地裁に第2次再審請求。6年後の2014年3月にようやく再審請求が認められ、拘留も停止し、釈放された。66年8月の逮捕から釈放まで、実に47年7ヵ月間も獄中にいた。
 日本記者クラブ会見には当初、袴田巌さんの参加も予定していたが、88歳という高齢と浜松市から東京への移動は体調から見ても難しいので欠席となった。
 冒頭、ひで子さんより、「58年間、闘ってきて、やっと再審で無罪判決をいただいた。随分と長いように感じるが、あまり気にしていなかった。むしろこの再審裁判の10年の方が気になっていたが、弁護士と多くの支援者の皆々さまのお力添えで無罪を勝ち取った。本当にありがとうございました」と述べた。
 そして「裁判長から『被告人は無罪』と言われた時には、本当にうれしくて涙がとめどなく出てきたので、その後に裁判長が何を言っているのかさえ分からなかった」と、判決の瞬間の感動を語った。

3つの証拠をねつ造

 続いて小川弁護士が発言。「再審開始決定が出てから、静岡地裁と東京高裁の判決ではっきりと合理的な疑いがあるとあったので、袴田巌さんの無罪は当然」という感想を述べた上で、今回の無罪判決の要旨を説明。「裁判所は3点のねつ造を認めた。1つ目は、最初の裁判で採用された唯一の自白調書である検面調書(検察官が容疑者に直接面接して作成した調書)。2つ目は、事件発生から1年2ヵ月が経ってから出てきたみそタンク内の『5点の衣類』。3つ目は、その衣類の中のズボンの共布が袴田さんの自宅から出てきた件。警察と検察が連携したねつ造であるとはっきり言った」と指摘した。
 警察と検察がねつ造を行なった理由については、判決が二つを挙げていることを紹介。一つは取り調べの際の録音テープが出てきたことで、ひどい取り調べや偽証が明らかになることを、警察と検察が恐れたこと。もう一つは、検察が警察の調書に基づいて起訴した以上、それに合わせる必要があったということだ。
 小川弁護士は「一番重要な『5点の衣類』が証拠として否定された以上、他の証拠では有罪にすることはできないとした大胆な判決だった」と評価した。
 しかし同時に、「われわれ弁護団は再審裁判でさまざまな証拠開示を求めてそれを提出し、その矛盾点を追及してきたのに、その点についてあまり取り上げなかったことと、死刑に関わる重要な判決なのに判決文では検察のうそや証拠隠しにもっと踏み込んだ批判していなかったのはとても残念だった」と指摘。
 質疑応答では、袴田巌さんの現在の様子を聞く質問や、無罪判決を本人に伝えたかという質問が出た。ひで子さんは、「本人はすでに再審裁判は終了していると思っているようなので『あんたの言うとおりになった』と言っている」と話し、「自宅では本人の好きなように自由にさせている。だんだんと拘禁症状は良くなっているようだ」と話した。

当然、国賠に向かう

 また、今回の無罪判決を受けて国家賠償請求を行なうのかという質問には、小川弁護士は「これだけ悪質な国や県のねつ造なのだから、当然、その方向に向かうのでは」と答えた。
 検察が判決を不服として控訴するかが今後の焦点だが、ひで子さんは「したければすればいい」と厳しい口調で語った。