ポールジーさんが熱く語った~カタルーニャ独立運動から学ぶ「自己決定権」~沖縄問題を考える機会に
(社会新報10月18日号1面より)
社民党副党首の大椿ゆうこ参院議員の事務所が主催する講演会「カタルーニャにとっての自己決定権とは〜独立運動と国家によるデジタル監視」が10月4日に参院議員会館で行なわれ、約60人が参加した。
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【カタルーニャとは】カタルーニャ人は独自の言語や文化・歴史を持ち、その多くはスペイン北東部のカタルーニャ自治州に居住するが、隣接州やフランス南部にも居住している。スペインは1970年代末に民主主義へ移行して地方分権国家になったが、中央政府によるカタルーニャ自治州への強い締めつけが続いている。21世紀に入ってカタルーニャ自治州内の不満は増し、自己決定権と独立を求める機運が一層強まった。自治州はスペイン北東部に位置し、近年、同国からの独立を求める動きが強まっている。
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最初に、大椿議員が「私の連れ合いはカタルーニャ人で、2012年に旅先の(カタルーニャ自治州の州都)バルセロナで出会った」と、この問題との関わりを語った。
続けて、問題意識として次のように語った。
「私はカタルーニャ独立運動に接し、日本の問題を考えるようになった。沖縄の人たちが圧倒的反対の民意を示しても基地建設が進められることなど。人々が権力者から自己決定権を奪われ、アイデンティティーまで弾圧される状況は、日本の中にもあるのではないか」
独立への人々の思い
次いで、カタルーニャ独立運動をけん引してきたエリセンダ=ポールジーさんが講演を行なった。
ポールジーさんは、06年のカタルーニャ住民投票で採択された新自治憲章に対するスペイン中央政府による10年の憲法裁判所違憲判決について、「ひどい判決だった。行政機関と教育機関でのカタルーニャ語優先が取り消され、自治憲章の大部分が中央集権的に塗り替えられた」と批判した。
この判決を受け、カタルーニャでは民衆の間で独立を求める動きがさらに強まり、大規模なデモが行なわれるようになった。13年9月のデモでは、700キロにわたる「人間の鎖」がつくられた。カタルーニャ州議会では15年以降、独立支持派が過半数を占めている。
17年10月1日、カタルーニャ州で独立の是非を問う住民投票が実施された。投票率は約43%で、「独立に賛成」が約90%だった。
ポールジーさんはこの住民投票について、「独立反対派は投票をボイコットしたが、ほとんどの投票所で平和的に投票が行なわれた。約8000人の警官が現場に投入されたが、消防隊が警察から市民を守るために出動した」と語った。
スペイン政府はこの住民投票を認めなかったが、カタルーニャ州議会は同年10月27日に独立を宣言した。
そのため、スペイン政府はカタルーニャ州の自治権を停止した。独立宣言に関わった州議員らは次々と投獄され、外国に亡命する政治家らも続出した。それでも、同年12月の州議会選挙では独立支持派が過半数を占めた。
19年10月、スペインの最高裁は「独立に関する住民投票」を主導した政治家と市民グループの計9人に禁錮9〜13年の判決を下した。
立ち上がった民衆
この最高裁判決を受けてカタルーニャの人々は猛反発し、州内でまた大規模デモが繰り返されるようになった。
ちょうどそのころ、大椿議員はバルセロナに2ヵ月半にわたり滞在していた。
大椿議員はポールジーさんの講演後、次のように語った。
「私も他のデモ参加者らと27キロほどある高速道路を歩いてバルセロナ空港まで行き、空港占拠を共にする体験をした。『人々が蜂起する』というのはこういう姿なんだということを、目の当たりにした。判決が出てからの約2週間、あらゆる所でデモが行なわれ、中学生や高校生もデモに参加していた」
中央政府からの圧力
ポールジーさんは講演の中で、カタルーニャ独立派と見なされた広範な人たちが、パソコンやスマートフォンなどに仕掛けられたスパイウェア「ペガサス」による機密情報抜き取りの被害に遭ったと訴えた。
カタルーニャ独立運動の現状については、「18〜19年のデモ行進では100万人単位の市民が参加していたが、20年以降は新型コロナの影響もあり、数十万人単位に減っている」と、以前の勢いを失っていることを認めた。
質疑応答では、「カタルーニャ以外のスペインの人たちの反応は?」との質問に対し、ポールジーさんは「一部の例外を除いて、カタルーニャ以外の地域では独立運動に否定的な人が多い。独立運動をテロ活動のように考える人も多くいる」と実態を語った。
ポールジーさんは講演の締めくくりで、「繰り返される不正義に直面して、最後の手段としての独立だ。民主主義に照らしても正当な理由がある。自己決定権と独立のために、これからも活動を続けていく」と語った。