(8月16日号3面より)
広島と長崎に原爆が投下されて78年目の夏を迎えた。たった2発の爆弾で多くの命が瞬時に失われた。広島で約14万人(プラスマイナス1万人)、長崎で約7万人(同1万人)が45年末までに亡くなったが、正確な死者の数すら分かっていない。核爆発を生き残った被爆者11万3649人(23年3月現在)は、今なお放射線の影響による病気や健康不安に苦しんでいる。被爆者と同じ距離で原爆にあいながら国の基準から外れ、被爆者と認定すらされない6796人の「被爆体験者」も放置されたままだ。78年前の惨劇は、今も終わっていないのである。
ヒロシマ・ナガサキを繰り返せば、人類は破滅する。それが世界の共通認識だったのではないのか。米ソ冷戦下の核軍拡競争のピークであった86年に7万発に達した世界の核弾頭は、ソ連がなくなった今でも1万2500発が存在し、核不拡散条約(NPT)が発効した1970年に米、露、仏、英、中の5ヵ国だった核兵器保有国は、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が加わり、事実上9ヵ国に広がっている。
ロシアによるウクライナ侵攻は長期化し、ロシアは核兵器の使用を公然と語り、核による威嚇を繰り返している。断じて許すことはできない。これに対して、5月に広島で開かれた先進7カ国首脳会議(広島サミット)も、ロシアの核威嚇・使用を批判するばかりで、自らの核兵器を「防衛目的」として正当化している。敵対国の核兵器を批判しても、自らの核兵器を正当化する姿勢は核軍縮を目指すものとはとうていなり得ない。サミットの被爆地開催は政権浮揚に利用され、被爆者たちの願いは踏みにじられたのである。
カナダ在住の被爆者であるサーロー節子さんは広島で会見し、「広島まで来てこれだけしか書けないかと思うと胸がつぶれるような思い。(今回のサミットは)大変な失敗だった」と話した。岸田首相は核保有国と非保有国との「橋渡し役」になると繰り返しているが、具体的な行動は何も見えない。
昨年の核禁条約締約国会議にはG7メンバーのドイツもオブザーバーで参加した。日本政府も米国と一線を画し、会議で核廃絶を訴えてこそ、被爆国の責務を果たすことになるのではないか。核兵器がある限り使用される危険がつきまとう。決別こそが人類を救う唯一の道との認識を、各国は共有しなければならない。