社会新報

【主張】津久井やまゆり園事件から8年~根底にある「優生思想」から脱却を

(社会新報8月22日号3面より)

 

 2016年7月26日、神奈川県相模原市緑区にある知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者の障がい者19人が殺害され、26人が重軽傷を負った惨劇から8年が経過した。
 犯人はこの施設の元職員で、2020年の横浜地裁で死刑判決が下された。 犯人の動機は「意思疎通できない重度な障がい者は不幸であり、社会に不要な存在であり、安楽死させるべきだ」というものだ。
 なぜ、彼が他者の幸福や価値を決めるのか、なぜ自分にそれを決める権限があると思うのか、あまりにも幼稚で屈折した正義感だ。
 事件から8年を迎える直前の7月3日、最高裁判所大法廷で旧優生保護法の違憲判決と国への損害賠償を命じる判決が下された。旧優生保護法は、1948年に成立した法律だ。法が改正された96年までに、「不良な子孫の出生防止」を目的として、障がい者らに対して約2万5000件の不妊手術が行なわれた。その大半が本人の同意なき手術であった。これに対して、2018年に違憲訴訟が提訴された。そして7月、ついに司法が法と国の過ちを認めたのである。
 旧優生保護法は、障がい者の人生に関わることを他者が決めていいというものであり、ある意味で「やまゆり園」事件の犯人の考えと似ている。
 しかも驚くことに旧優生保護法は、日本国憲法の施行後に、衆院において全会一致で可決成立した。私たちの考えや行動が正しくない時もあることが分かるだろう。
 また今年の3月には京都地裁で、難病のALSを患う女性が死を望んだことを受けて嘱託殺人を行なった医者に、別件の殺害事件なども含め、懲役18年の判決が出された。
 被告側は「患者の自己決定」を盾に無罪を主張していたが、判決では「自己決定は個人が生存していることが前提」とし、「自らの命を絶つために他者の援助を求める権利などは導き出せない」として、被告の主張を一蹴した。
 この事件が明らかになってから、「安楽死」の議論が加速した。しかしながらその議論は、死を望む人を社会的に殺害する制度について他者が論じるもので、「やまゆり園」事件の犯人が抱いたゆがんだ正義感と同列の、空疎なものだ。
 「津久井やまゆり園事件」から8年が経過し、その犯人と同じ思想が社会にはびこっているが、「旧優生保護法」の過ちが認められたことは、一歩前進であろう。