(社会新報2021年5月26日号4・5面より)
企業や業界などの組織で、内部の人物が不正を告発したことをきっかけに大きな問題が明るみに出た例は多い。そんな内部告発者を守る法律が「公益通報者保護法」だ。
だが、報復人事などに罰則規定はなく、社会の利益のために行動した告発者が辛酸をなめるケースが後を絶たない。昨年成立した改正法にも大きな穴がある。
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良心の告発者を守るための法律「公益通報者保護法」が昨年6月、14年ぶりに改正、公布された。改正法は来年6月までに施行される。
同法は三菱自動車のリコール隠しや雪印食品の牛肉偽装などの不正が内部告発で明るみに出たことを受けて、2004年に公布、06年に施行された。ところが施行後も内部告発者が職場を追われるなどの不利益を被る事例が頻発。今回の改正法についても、内部告発経験者からは「ザル法」との批判が絶えない。
今回の改正では、300人以上の事業者に内部通報を受け付ける仕組み作りを義務付けるとともに、事業者の公益通報窓口担当者に守秘義務を設け、違反者に刑事罰(30万円以下の罰金)を科すことにした。また事業者以外の通報先である行政機関への通報に関わる要件を緩和し、通報を行ないやすくした。
一方、通報者が報復人事などの不利益を受けた場合の是正措置として、行政機関が指導・監督の上、組織名を公表できるようにする案が検討されたが、今回は見送られた。また個人の生命や消費者の利益などに関わる法律違反に通報対象が限定されている点についても、見直しの過程で拡大の必要性が議論されたが、財務省の決算文書改ざんで話題になった公文書管理法違反や税法違反などは、今回の改正でも対象から外れたまま。
5年前に事業者側通報窓口に不正を公益通報し、懲戒免職された元職員は今回の法改正について、こう語る。
「公益通報者保護法が施行された後も、窓口担当者が通報者の名前と内容、氏名を幹部らに漏えいする事例が後を絶たなかった。それで仕方なく、通報窓口担当者に守秘義務と罰則を科しただけのことで、遅きに失している。『いまさら何を』という印象です」
この元職員は公益通報者保護法に詳しい弁護士らに相談しながら手順を踏んで事業者側代表と行政機関に実名で公益通報した。だがその結果は「行政機関は逃げ回り、通報の受け付けすらしなかった。事業者側は、私を左遷した後、問答無用で懲戒免職にした」。
公益通報者保護法と改正法は、通報を理由にした報復人事を禁じているが、報復しても罰則がなく、何の歯止めにもなっていないのが実情だ。
「そもそも罰則のあるなしにかかわらず、事業者側は通報への報復とみなされないよう、人事評価などの別の理由を挙げて処分します。裁判で負けると困るので『通報への報復でした』とは口が裂けても言わない。私の場合も、勤務態度が悪かったなど、別の名目をいくつもでっち上げて懲戒免職にしました。これに対抗するため、私は財産と時間、労力を費やして自ら民事訴訟を起こし『解雇は不正通報への報復であり不当だ』と訴えるしかなかった。今回の改正では報復人事への是正措置として、行政機関が指導・監督の上、組織名を公表できるようにする案が見送られました。『余計なことに関わりたくない』という役所の本音がよく表れています」(前出・元職員)
内部通報優先は問題
「内部通報制度」という表現に象徴されるように、消費者庁は、行政や報道機関への通報より、事業者内部での通報を優先しているとされる。だが通報経験者からすると、こうした発想自体が問題だという。
消費者庁長官の諮問会議「公益通報者保護制度の実効性の向上に関する検討会」(15年6月―16年12月)に、「通報経験者」の委員として参加した串岡弘昭さん(74)はこう語る。
「通報者にとって、報復を受ける可能性のある事業者の内部通報窓口への通報よりも、その恐れがない報道機関や、事業者への指導・処罰権限を持つ行政への通報の方が安心だし、有効だと思います。報道機関は情報源を秘匿し、告発者を守ってくれます。組織内部の個人が、報道機関を通じて内部の不正に警鐘を鳴らすことは社会にとって不可欠ですが、改正法でも、報道機関への通報には高いハードルが設けられていて、事実上封じられてしまっているのが現状です」
報道機関への通報に高い壁
改正前、行政と報道機関などへの「外部通報」については、通報事案に「真実相当性」があることを通報者が確実な証拠を揃えて証明しなければならないといった厳しい要件がつけられていた。要は、通報者が内部資料などの「確実な証拠」を入手し、通報内容の真実性を証明しない限り、公益通報と認められず、法の保護も受けられない仕組みだった。
改正法では、外部通報のうち、行政への通報については、通報者が氏名や通報事実を書面で提出すれば、真実相当性の証明義務が外されることになった。これによって行政への通報は行ないやすくなったが、報道機関への通報には相変わらず高い壁が設けられている。
「確実な証拠を入手しようとすれば事業者側に自分の存在を知られる可能性が大きく極めてリスクが高い。私は検討会などで、報復に対する刑事罰の導入と、報道への通報要件の大幅緩和を求めたが、どちらも経済界の強い反対で実現しませんでした。報道への大幅な要件緩和に経済界が反対した理由は『報道の影響は大きい。もし告発内容が虚偽だった場合、それが事実として報じられたら取り返しがつかない』というものでした。しかし報道機関は告発者から得た情報について必ず裏取りし、複数ルートの裏取りができない限り報道しないのが鉄則。でないと報道機関が逆に信用毀損(きそん)で訴えられてしまうから。経済界は報道と世論が怖いのでしょう」
退職迫り隔離も
串岡さんの主張は、自らの過酷な体験に裏打ちされている。串岡さんはトナミ運輸在職中の1974年、トナミを含む運送業界が認可運賃の最高額に統一するなど、独占禁止法違反のヤミカルテルを結んでいることを知り、やめるように上司に直訴。無視されたため読売新聞社に通報。読売が大きく報じたことで疑惑は広く国民に知られることになった。
だがトナミ側は「当社とは無関係」と無視を続けた。このため、串岡さんは公正取引委員会に通報する一方、読売に通報したのは自分だと会社に名乗り出て、あらためてカルテル中止を訴えたが無視された。その後、公取委は業界各社に強制立ち入り検査を実施し、問題は国会で追及された。公取委はヤミカルテルをやめるよう業界を行政指導。業界側はヤミカルテル破棄の公告を新聞に載せたが、実態は変わらなかった。
翌75年、串岡さんも協力した日本消費者連盟の調査で業界の運賃水増しが発覚。新聞で大きく取り上げられ、ようやく監督官庁の運輸省が重い腰を上げ、業界の特別監査を2度実施。各社に行政処分を行なった。
一方、トナミ側は串岡さんに「辞表を出せ」と執拗(しつよう)に迫った。拒否されると75年から研修所に異動させ、電話もない4畳間にただ一人、隔離。同僚は「串岡と接触すると昇格が遅れるぞ」と上司に釘を刺された。
串岡さんの仕事は屋外での草むしり、ペンキ塗り、買い物、雪かき、雪下ろし。それ以外の仕事はなく、1日中、隔離部屋で誰とも話さずに過ごさねばならなかった。昇給、昇格はストップ。名刺も与えられない。それでも串岡さんが屈しないため、役員が自宅に来て朝4時まで辞職を迫ったり、暴力団の若頭を名乗る人物から「辞めないと交通事故を装ってひき殺す」と脅されたことも。
02年、串岡さんは退職を強要されるなど不利益を受けたとして会社を提訴し、勝訴。高裁で和解が成立し、賠償金が支払われたが、係長補から係長に昇格した以外、仕事内容等の待遇改善は定年退職まで一切なかった。串岡さんは語る。
「内部通報は組織への裏切りではなく、公益を優先する積極的な情報開示であり、社会の健全な発展のため絶対に必要です。内部通報制度は報道機関と行政への通報を両輪とすべき。それがなければ、保護法の実効性は上がらないと思います」
さらなる改正に向けて早急に検討が必要だ。