社会新報

米国追従やめ対中国関係再構築を 日本の安全保障の認識は20年遅れ ~元外務省国際情報局長の孫崎享さんに聞く~

(社会新報2022年1月1日号4・5面より)

 

新時代に目指すべき外交は

日本の対米追随外交は、限界に来ている。米国の圧倒的なパワーに主導された国際秩序という冷戦崩壊後の認識は、中国の台頭と米国の経済的・軍事的地位の低下によって過去のものとなったが、日本は変化に対応できていない。旧満州に生まれ、外交官として米国など各国で勤務、情報分析にあたった経験を持つ外交評論家の孫崎享さんに、新年にあたり、いま日本が目指すべき新しい時代の外交について聞いた。

 

昨今の日本の安全保障をめぐる認識は、20年近く遅れているように思えてなりません。認識の前提条件が大きく変わったにもかかわらず、それに気付いていないのです。

第一に経済です。文部科学省の「科学技術・学術政策研究所」が毎年まとめている世界の科学論文の動向によると、引用された数がトップ10に入る「優れた論文」の分野別の割合は、2017年から19年にかけて中国が24・8%を占め、1位でした。2位が米国で22・9%です。日本はインドにも抜かれて2・3%と、10位にすぎません。

1997年から99年にかけては、米国は42・8%と圧倒的に1位でした。日本は6・1%で4位につけており、中国はわずか1・4%でした。つまりこの20数年間で、中国が技術・学術の面で米国を抜くという急激な変化が生じたのです。

それだけではありません。米CIAは自身のサイト「The World Factbook」で、各国の通貨で財がどれくらい手に入るかを示す購買力平価ベースで見ると、すでに16年に中国が米国を抜き、米国は欧州連合(EU)にも抜かれて3位となっている事実を認めました。また、英シンクタンク「経済ビジネス・リサーチ・センター」(CEBR)は昨年末、中国が28年までに米国を抜いて世界最大の経済大国になるとの報告書を発表しました。これと同じような予測は、各国の金融機関やシンクタンクの間でも珍しくありません。

ところが、岸田文雄新内閣の対応はどうでしょうか。昨年10月4日の組閣では、経済安保相のポストが新設されました。「経済安保」とは、要するに「日本の技術が中国に流れ、安全保障に害を与える」という発想です。もう時代遅れもはなはだしく、逆に「いかに中国の最先端の技術を日本に持ってくるのか」が課題となっている現状を理解できないのです。

一方で米国は、周知のように何とか世界経済から中国を締め出そうと狙っています。しかし次世代通信規格「5G(第5世代)」ネットワーク一つとっても、中国の華為技術(ファーウェイ)や中興通訊(ZTE)は膨大な特許数を誇っており、仮に中国を中心とした勢力と、ノキアやエリクソンなどを加えた米国を中心とする勢力の対立構造になっても、もはや勝負にならない。そのため日本企業が米国側についてもメリットはありません。

米国優位は過去

第二に軍事です。1995年から96年にかけて、米中間で台湾をめぐり軍事的緊張が高まりました。米国が台湾の李登輝総裁(当時)の入国を認めたことについて中国側が「米中関係を損なう」と抗議し、弾道ミサイルの試験を数回に分けて実施しました。これに対し米国は、空母2隻を動員して台湾湾海峡を通過させ、力の差を見せつけたのです。

しかし、これも過去の物語になりました。米国最大のシンクタンクで、軍との関係も深いRAND研究所は近年、国防総省と共に18回にわたって中国と台湾周辺で戦争に突入した場合のシミュレーション(戦争ゲーム)を実施していますが、すべて「米国が負ける確率が高い」という結果が出ています。もはや米国が中国に対して軍事的に勝利できる可能性は失われました。

旧ソビエト連邦が崩壊して冷戦が終わって以降、米国は唯一の超大国として圧倒的な力を誇っていました。フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」が語られたのも、この時期です。そのため2005年2月の日米安全保障協議委員会で発表された文書「日米同盟:未来のための変革と再編」が象徴するように、日本にとっての外交的課題とは、圧倒的に優勢な米国といかに一緒に組んでいくのかという点にあったのです。

しかし、もはや米国だけが圧倒的なパワーを有する時代は終わりました。昨年8月、20年間もアフガニスタンで戦争を続けた末に、世界最強を誇る米軍がろくな兵器も持たないタリバン勢力に敗北し、惨めな撤退を余儀なくされたのも、時代の大きな変化を象徴しています。

以上のような世界の巨大な変動にもかかわらず、日本は「日米同盟」路線というアナクロニズムに、相も変わらずしがみついています。

菅義偉前首相は、昨年4月にワシントンで発表した「日米共同声明」で「ルールに基づく国際秩序に合致しない中国の行動について懸念を共有した」とか、中国を念頭に「東シナ海におけるあらゆる一方的な現状変更の試みに反対する」という表現を盛り込みました。

国際秩序変更の嘘

この「世界は米国を中心とした自由主義と、中国などの全体主義の闘いにあり、日本は応分の協力をしなければならない」という路線は岸田内閣にも踏襲されていますが、明らかにおかしい。なぜなら中国にとっても、現在の「国際秩序」を維持するのが利益だからにほかなりません。

すでに米国防総省も認めているように、中国共産党が独裁を維持するため、国民の支持をつなぎとめる方策と考えているのは、もはやイデオローギーや他国を脅威視することではありません。それは唯一、国民の生活の向上なのです。そのためにはまず中国の製品を海外で販売する市場が必要で、それを元に経済を発展させるためには各国同士が協力し合えるような関係が前提となります。

そうした「国際秩序」をひっくり返したり、「変更」を望む選択肢は、中国にとってありえません。むしろ国連安保理決議もないまま開戦したイラク戦争を典型に、これまで「ルールに基づく国際秩序」に挑戦し続けているのは、明らかに米国自身ではないのか。

米国は中国との国交を正常化するにあたり、1978年の「米中コミュニケ」で、「中国は一つであり、台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認知する」と発表し、台湾に駐留していた米軍も引き上げました。 ところが米国のトランプ政権とバイデン政権はこの間、「一つの中国論」を公然と無視し、高官や軍用機を台湾に派遣したり、軍事援助を再開するなど、あえて中国の反発を買うことばかりしています。それが、今日の「台湾海峡の危機」と呼ばれる状況を招いているのです。

さらに中国を「21世紀の最大の挑戦者」と見なす米国は、安易に覇権の座を中国に譲る気はありません。経済、軍事をはじめとするあらゆる戦線で中国と対峙(たいじ)、包囲網を形成する態勢を築き上げようとしています。そして中国を世界からのけ者にするため、07年に日本やオーストラリア、インドと組んで「四ヵ国戦略対話」(Quad)を結成しています。

しかし東南アジア諸国連合(ASEAN)や韓国といった中国周辺諸国を見ると、米国の動きには必ずしも同調せず、むしろ経済の面からも中国と仲良くし、協力し合おうという姿勢が目立つのは否定できません。今後、そうした諸国がさらに力をつけていくのは間違いないでしょう。経済的にも中国を世界から排除するのは、米国自身も相互依存関係にある以上、困難ではないか。

米軍は助けに来ない

こうなると、米国の今のような中国への対決姿勢がいつまでも続くとは思えません。いずれどこかで変更を余儀なくされることも十分に予測されます。日本でも、一部のメディアや右派によって「尖閣の危機」が叫ばれ、米国にけしかけられて沖縄をはじめ南西諸島の軍事化が急ピッチですが、万が一、中国との間で衝突が起きても、米軍が駆けつけて来ると思うのは幻想ではないのか。

なぜなら前述のように、米軍は中国軍と戦争しても負けるのがシミュレーションで判明しているからで、彼らは負ける戦いは決してしません。日頃、どんなに中国の脅威をあおって東シナ海や南シナ海で軍事演習を繰り返そうが、実際の戦争は考えていない以上、いくら日本が米国との「同盟関係」を信じても、いざとなった時にはしごを外されるのがオチです。

以前にも同じような事例がありました。1969年11月、当時の佐藤栄作首相は訪米してニクソン大統領と共同声明を発表した中で、「台湾地域における平和と安全の維持も日本の安全にとってきわめて重要な要素」であるという有名な一節を入れました。

ところがニクソン大統領は、まったく日本の頭越しに71年7月、突然に中国訪問を発表します。米国と共に中国敵視政策を取り続け、台湾と深い関係を築いてきた日本は「ニクソンショック」に直撃されたのでした。

米中の頭越しの接近は、外交を米国任せにせず、自らの頭脳で判断することがどれだけ重要かを示したはずです。実際その後、日本は「ニクソンショック」に懲りてある程度主体的な外交政策に転じました。1976年12月に登場した福田赳夫政権は、共産圏との外交拡大を目指す「全方位外交」を掲げました。さらに政府は、77年2月に東京にPLOの事務所を開設。81年10月にはPLO議長のアラファト氏を初めて招請するなど、独自の中東外交を展開したのもその例です。

今こそ言論は勇気を

しかし今日、こうした面影は残っていません。いつの間にか思考が停止して、すべてに「日米同盟」を最優先させるようになり、の米国がまだ圧倒的優勢を誇っていた20年以上前時代のアナクロニズムがまだ今も支配しているのです。

中国の台頭で国際情勢に巨大な変化が引き起こされているにもかかわらず、20年前と変わらずに米国一辺倒で付き従っていっても、何も日本の利益にはなりません。しかも「流れは変わったのだから、新しい状況に備えて中国との関係をどうするかを事実に即して考えるべきだ」という発想は、残念ながら極めて乏しいように思えます。

よくマスメディアが中国の批判材料にする台湾や香港、ウイグルは、中国の内政問題で国家の統一と絡んでいますから、国際秩序全体の次元と切り離して考えた方が良いでしょう。ところが今日、中国との関係改善を唱えようものなら、リベラル派も含めた攻撃が加えられるような社会の空気がまん延しています。しかし、果たしてこれで良いのでしょうか。

今年9月は、日本と中国が国交を結ぶための日中共同声明が調印されてからちょうど50年に当たります。その声明には、次のように記されています。

「(日本と中国は)主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する。

両政府は、右の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、日本国及び中国が、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」

今日、この精神で日本が中国との関係を維持することに何の支障もありません。日中間で対立事項のようにされている尖閣諸島の帰属問題にしても、日中共同声明調印前の正常化交渉で、当時の田中角栄首相と周恩来首相との間で合意された「棚上げ」論で十分対応できるのは間違いないでしょう。

今こそ言論が勇気を取り戻し、対中国関係の再構築に向けた活発な議論を巻き起こすよう、願わずにはおれません。世界の激変が開始された今、いつまでもアナクロニズムに安住するのは許されないのです。 (談)

 

 

まごさき・うける

1943年生まれ。元外交官。国際情報局長、駐イラン大使などを歴任。東アジア共同体研究所理事・所長。

 

 

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