社会新報

広範な共闘で改憲阻止を-憲法28条と非正規労働者 黙って使い捨てられるな-(社民党副党首・大椿ゆうこ)

(社会新報2021年5月12日号5面より)

 

言葉に命が宿り、突如、躍動し始める瞬間がある。私にその体験をさせてくれたのが、憲法28条だ。

憲法28条は「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と定めている。

弱い立場にある労働者が、自分たちに必要かつ有利な労働条件の獲得を目指し、職場の仲間と団結し、労働組合を結成することを保障した「団結権」。使用者と対等に交渉する権利を保障した「団体交渉権」。ストライキなどの争議行為を保障した「団体行動権」。これら3つの権利を「労働基本権」ならびに「労働三権」と呼ぶ。私は、具体的な闘い方を明記し、闘う権利を保障した憲法28条が大好きだ。アグレッシブでいい。

大学を卒業して社会に出たころ、時代は就職氷河期。非正規労働を渡り歩きながら暮らした、いわゆるロストジェネレーション。「自由な働き方」「やりたいことを見つけるまでの猶予期間」として、「フリーター」という生き方が市民権を得た時代ではあったが、今にして思えば、小泉純一郎やら竹中平蔵やらにうまくだまされた一人だろう。非正規から正規の職への転換の難しさを実感し始めたのは30歳を過ぎたころだった。

32歳の時、兵庫県にある学校法人関西学院大学に就職した。障害のある学生への就学支援を行なうコーディネーターとして採用されたが、1年ごとの契約更新で上限4年の有期雇用、退職金なし。非正規でも産休・育休が取得できることを知らなかった私は、産育休がないと言われ、「子どもを作ることもできない」と諦めた。条件に納得したわけはないが、非正規の割には好待遇で、専門性を生かせるならと働き始めた。

 

心が躍った団体交渉

働き出して3年目、私と同じ労働契約の労働者が、4年を超えてなお継続雇用されている事実を知り、継続雇用を上司に掛け合った。無理だと言われ、労働組合に加入して闘うことを決意した。私が労働三権を自分のものする過程がそこから始まる。

労働組合が団交を申し入れたら、ほどなくして法人はそれに応じた。労働組合法第7条2号に基づき、団交は拒否できない。私個人が話し合いを望んでも無視されて終わりだが、労働組合が申し入れれば彼らは団交を開かざるを得ない。おぉー、これが団結権の威力か!

団交の当日、大きな会議室には理事会のメンバーがズラリと並んだ。斜に構えて「有期雇用は自己責任」と言い放つ常任理事に、「有期雇用以外の選択肢を用意していないのはそっちだろう」と言い返した。日ごろ、会う機会も話す機会もない法人のトップに、自分の雇用について直に要求し、対等に交渉することができる。あてにならない誰かに委ねるのではなく、自分で勝ち取りに行く方法があることに心が躍った。おぉー、これが団体交渉権か!

2010年3月31日、私は予定通り雇い止め解雇された。翌4月1日、入学式が開催される大学の正門前に街宣車を乗りつけ、多くの労働組合員が結集した。就労闘争だ。解雇を撤回しろ! 大椿を職場に戻せ! と、自分のために声を上げてくれる人々がいることに、こんな世界があるのかと驚いた。20人近い警察が駆けつけたが、「民事不介入だ」と突っぱねる。おぉー、これが団体行動権か!

 

権利を使わなければ

私はこの経験を経て、憲法28条を自分のものにした。この権利は、国籍にかかわらず全ての労働者に保障されている。しかしながら、使う人がいなければ簡単にないものにされてしまう。今、労働組合の組織率は17.1%。8割強の労働者が労働組合に加入していない。権利を行使する者が減った結果、連帯ユニオン関西生コン支部のように、権利を行使したにすぎない組合が国家権力から大弾圧を受け大量逮捕、ネット上にはデマが飛び交い、多くの政治家たちは「関わりたくない」とやり過ごし、労働法を知らない裁判官が「ストライキは犯罪だ」と判決を下す時代が訪れた。コロナ禍の影響を受け、10万人以上が雇い止め解雇、146万人のパート・アルバイトが実質失業状態にあると言われている今、生き延びるための手段が労働組合であり、その存在を支えるのが憲法28条だ。

黙って使い捨てられるな。そのために憲法28条はある。これを使って一緒に闘おう。