【日比谷で全国集会】 強制不妊手術で国は責任認めよ~優生保護法問題の全面解決訴え
(社会新報11月9日号2面)
「いのちを分けない社会をつくろう」。10月25日、東京・日比谷野音で「優生保護法問題の全面解決をめざす全国集会」が開催された。全国から国賠訴訟の原告・家族、弁護団、支援者ら1300人が集まり、オンラインで1200人が参加。国に真相究明、謝罪、補償を求めた。
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「16才のときに働き先から突然、診療所へ連れて行かれ、何の説明もないまま手術をされた。26年ほど前に優生保護法によって強制された手術だと知り驚いた。県が記録を処分したために手術が認められず国へ訴えることもできなかた。ずっと差別を受けてきた。苦しかった。人生がくるい、ささやかな夢も奪われた」(飯塚淳子さん〈活動名〉/70代)
旧優生保護法(1948~96年)下で不妊手術を強制され、国に対して損害賠償請求訴訟を起こしている原告・家族、支援者らが壇上に並び、生涯にわたる深刻な被害実相を訴えた。
2018年、飯塚さんらを皮切りに、現在、全国10地裁・支部で国賠訴訟が起こされている。原告は31人(うち5人死去)。すでに、旧法は憲法違反であるという判決が5件出されており、今後も判決が続く。
前知事が謝罪
「飯塚さんに謝罪したい」。登壇した浅野史郎・前宮城県知事が深々と頭を下げた。同県が規則に反して優生手術記録を焼却処分したのも、手術実態の調査を求める市民団体の要望に応じなかったのも知事在任中のことだった。
浅野さんは厚生省官僚から転身。福祉分野、情報公開などに尽力し、「改革派知事」と呼ばれた。しかし強制不妊の被害を初めて認識したのは2018年の提訴を報道で知ったときだったという。飯塚さんが訴え続けていなければ、歴史の闇に葬り去られていた。
10月11日、仙台高裁の控訴審では、飯塚さんらの証人として出廷。自らの反省を込め、「当時、手術が適法とされていた中で原告が訴訟を起こすのは困難だった。20年で賠償請求権が消滅する『除斥』期間を適用すべきではない。早期の救済を」と訴えた。
同20日、宮城県議会は「優生保護法問題の早期全面解決を求める意見書」を全会一致で可決した。被害者救済を目的とした2019年の一時金支給法の施行後、同趣旨の意見書は全国で初めて。
優生思想は今も
「日本国憲法下で優生手術が猛威をふるった。誰も疑問に思わなかった。それがなぜかを問い続けなければいけない。今も、自己責任論、排外主義、差別が横行し、優生思想は形を変えて残っている。根絶しなければいけない」。福島みずほ党首は連帯あいさつで、旧法の特異性を指摘した。さらに、一時金支給法を策定した超党派の議員連盟事務局長として、同法を改正し、全力で解決したいと決意を表明した。