社会新報

【憲法特集号に寄稿】「9条のソフトパワーは強烈」~新外交イニシアティブ(ND)代表・弁護士 猿田佐世さん

 

猿田佐世さん

 

(社会新報5月10日号5面より)

 東京六大学の一つで教えていますが、去年の安保3文書の閣議決定以前の段階で「日本の軍事力は世界で何位くらい?」と授業で学生に聞くと、半数近くが「100位以下(半分以下)」と答えます。その学生に安保3文書改定による軍拡について意見を聞いても、「日本には軍事力がないので、少しぐらい持つのは必要」との答えが返ってきます。「台湾有事」の意味が分かるのはクラスの15%程度。東京六大学の学生でこの程度の理解です。
 政府は「戦争」を「有事」と、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えてきました。「自衛隊」と呼びながら世界3位の軍事予算支出(年間)を決定した日本。国民に議論させず、また、議論できない国民をつくりながら、軍事力拡大を進めます。

9条が示す軍事力否定

 護憲派からも「憲法は死んだ」との言葉を耳にしますが、今なお憲法9条の存在はとても重要な意味のあるものだと思います。
 9条が示すのは「軍事力の否定」です。そういうと「自衛隊はどうなる」「米軍がいなければ日本はやっていけない」など、いろいろな意見がでてきます。しかし、「軍にはネガティブな要素がある」ということを憲法9条ははっきりと示している。そのソフトパワーは実はきわめて強烈です。
 9条がなければ、今ですら不十分な、紛争を軍事力以外の手段で解決していこうという姿勢はさらに後退するでしょう。戦争反対の声が社会における非難の対象になり、軍に対する前向きな姿勢を求められるようになるかもしれません。
 ウクライナ戦争の開始直後、日本では、多くのメディアが「日本が戦争になったらあなたは戦争に行きますか」という世論調査を実施しました。テレビのある討論番組を見ていた時、自民党の元国会議員の女性が「いま6歳の息子が大きくなって、“お母さん、戦争に行く”と言ったら私は何と言うでしょう」と自問し、自答して「もちろん、一瞬、答えに詰まります」「でも、…私は背中を押して送り出します」と、私は覚悟を決めているぞとの「凛とした」表情で語りました。「うちの息子を戦争には送りません」「私は戦争には行きません」という発言が今後、攻撃の対象になる、心が凍てつくような気持ちになりました。

避難訓練と思考停止

 太平洋戦争中の竹やり訓練や防火用のバケツリレーの訓練は実際には何の役にもたたなかったが、「心の戦争準備と思考停止、それを浸透させるツールとして見事に機能した」と、沖縄基地問題を追う映画監督の三上智恵さんは話します。そして、現在、全国で行なわれている避難訓練はそれと重なると訴えます。
 近年、さまざまな市町村で避難訓練が進められ、Jアラートが鳴らされています。内閣官房の国民保護ポータルサイトには弾道ミサイル落下時の行動について、建物がない場合には「物陰に身を隠すか、地面に伏せて頭部を守る」と示されています。
 しかし、何度も避難訓練をやり、Jアラートが正確に作動し、ミサイルが発射されて頭を抱えて地面に伏せたところで、自らを守ることなど不可能だと誰もが分かっている。他方、危機感を高めるのにこれらは役立ち、結果、国民は国の防衛力拡大に賛成し、疑問を抱きません。

軍拡すると戦争を招く

 戦争は絶対に避けなければならない、と政府関係者も言います。しかし、彼らは、だからこそ、軍事力を高めて抑止力をつけることが重要だ、と言うのです。
 しかし、米国の学者マイケル・ウォレス氏が行なった過去の紛争を分析した研究では、ある国が紛争を抱えているときに、軍拡をした場合には82%が戦争になり、軍拡をしなかった場合には4%しか戦争にならなかったとの結果が出ています。
 この明確な結論は、私たちが何をすべきかを示してくれます。
 30年ほど前、私が大学で憲法を習い始めた時、憲法制定時を知る方から話を聞きました。「憲法ができてうれしかったって聞きますが?」と聞くと、50も歳の離れたその方が「うれしかったもなにも、自分たちの必死の努力で憲法を手に入れたのよ」と誇らしげに語っていた顔を思い出します。
 平和憲法の下、軍事に頼らない紛争解決を手に入れていかなければなりません。私たちの必死の努力で。

 

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