戦争PTSDを考える 沖縄で講演会・シンポジウム
2割から5割の兵士が発症、戦中と戦後のトラウマは地続き
【沖縄】「戦争PTSDを考える講演会・シンポジウム」が8月3日、那覇市の沖縄県男女共同参画センターで開催され、雨模様の中、280人が参加した。主催は南京・沖縄をむすぶ会とノーモア沖縄戦・命どぅ宝の会。
戦後80年の今年、地上戦を体験した沖縄での戦争PTSD(心的外傷後ストレス後遺症。戦争トラウマとも)を考える機会となった。
米軍の統計によれば、2割から5割におよぶ兵士が治療を要する戦争PTSDを発症するとしている。この数字を日本の従軍兵士800万人に当てはめれば、100万人以上がPTSDを発症したことになる。その1%以下に当たる8002人のカルテが、千葉県市川市にある、戦争神経症を発症した日本兵を治療し、研究していた国府台陸軍病院に残っているという(『琉球新報』7月29日付)。
戦争トラウマの症状は、しばしば夜中に家族をたたき起こしたり、アルコールやギャンブルに依存したりといったかたちで出る。家の外では良い父だが家族にはその真逆だったりする。こうして、戦争体験のトラウマは、その子どもや孫にまで連鎖することになる。
沖縄で深刻な状況
第1部では、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の黒井秋夫さん(74)などが講演した。
黒井さんは、ベトナム帰還兵の戦争トラウマについて取り上げたドキュメント番組を見て、父親と重なることに気が付いたという。2018年1月には「語り合う会」を結成した。
シンポジウムの前日には、那覇のジュンク堂書店で、黒井さんと、黒井さんとの共著がある精神科医の蟻塚亮二さんによるトークイベントが開催された。蟻塚さんはイベントで、「本土に比べて沖縄はトラウマを負う人が多く、質的にも深刻」「戦争トラウマと戦後のトラウマが地続きでつながっている」と指摘した。
子や孫にまで連鎖
第二部のシンポジウムでは、幸喜愛(こうき・かなし)社民党県議が登壇。祖父が沖縄戦で娘を失った後、家族に暴力を振るうようになり、その影響が親を経て自分にも及んだことを明かした。親に褒められたことも認められたこともなく、「自己肯定感を持ってはいけない」と思い込んで生きてきたとして、その苦しみを率直に表現した。
幸喜県議は、戦争が個人や家庭に深い心の傷を残し、その連鎖が世代を超えて続いている現実を訴え、「この連鎖を断ち切るためには、過去を語り合い、理解し合い、共に向き合うことが大切だ」と述べた。
沖縄県2紙は、黒井さんが7月に国会前で行なったトークを紹介するなどして、戦争トラウマについての世論を喚起した。
市民とつくる平和
政府は「防衛3文書」で中国に届く敵基地攻撃ミサイルの保有を明記し、沖縄、大分、熊本、京都、青森など、全国でミサイル関連施設などの計画・整備を進めている。
社民党は「くらしが一番.がんこに平和」を貫くために、多くの平和を求める市民団体との連携を目指している。
【国府台陸軍病院】1899年(明治32年)、千葉県市川市に国府台衛戍病院として開設。1937年に国府台陸軍病院に改称。1945年に厚生省(当時)に移管され、国立国府台病院に。戦場で受けたストレスによって精神疾患を発症した元兵士たちを収容していた。軍は、「戦争への恐怖で発症する兵士はいない」とする一方で、患者の治療・研究をしていた。その研究カルテは今も病院に残っている。