社会新報

基地も核も戦争もない世界を~沖縄「復帰」50年で3年ぶりに平和行進~

(社会新報2022年6月1日号1面より)

 

 沖縄の「施設権返還・日本復帰」から50年を迎える5月15日の前日、沖縄平和運動センターなどが主催する「5・15平和行進」が小雨の降るなか3年ぶりに開催され、労組員や市民ら1000人が参加した。

 

 

 平和行進の出発式が行なわれた宜野湾市役所前では、激励に訪れた社民党の新垣邦男衆院議員が「復帰から50年経ったが沖縄は何も変わっていない。さらに悪くなっている」とした上で「普天間、嘉手納基地の強化、辺野古新基地建設は絶対阻止する。沖縄から基地をなくす運動を共に取り組もう」と参加者に呼びかけた。

 また、基地被害に苦しむ普天間基地爆音訴訟原告団の新垣清涼共同代表は、「20年前から裁判で闘っているが、裁判所は爆音の被害は認めても米軍の飛行差し止めは絶対に認めない。これが主権国家か」と怒りをあらわにし、「県民・国民の声を聞く国会議員をつくっていこう」と訴えた。

「護憲の党」をアピール

 参加者は宜野湾市民会館を10時に出発。米軍普天間飛行場や嘉手納基地をめぐる本島中部のコース約9㌔を歩き、「基地のない平和な日本を」「辺野古新基地建設はいらない」などとシュプレヒコールを上げながら市民に訴えた。

 社民党沖縄県連も、宮城イチロ幹事長(参院全国比例予定候補)を先頭に社民党旗を掲げて平和行進に参加。県連カーも先導車として「護憲の党」をアピールした。

 途中、右翼の街宣車が平和行進と並列に移動し大音量で妨害したが、参加者は毅然(きぜん)とした態度を貫き、約2時間半後に目的地の沖縄市の八重島公園に到着した。

 到着式では県連副代表の上里善清県議があいさつ。続いて沖縄平和運動センター顧問の山城博治さんが、「私たちはどのような戦争にもくみしない。政府は台湾有事をあおっている。南西諸島の要塞化に危機感を覚える。来年は平和行進をさらに大きくしよう」と訴え、団結ガンバローの拳を突き上げた。

沖縄は今も差別の中に

 5月15日には那覇市内で「5・15平和とくらしを守る県民大会」(主催は同実行委)が開催され、参加者の「基地のない沖縄」の熱気に包まれた。

 主催者を代表して上原邦夫共同代表(沖教組委員長)は、平和行進について「基地の中に沖縄がある」と実感できたコースではないかと指摘した上で、「沖縄は復帰を果たしたが、基本的人権の尊重、平和主義、国民主権の三原則は守られてきたのか。県民の暮らしは全国最低の水準から抜け出せない。平和で豊かな暮らしを求め、声を上げ続けよう」と熱く訴えた。また「コロナ感染症対策で日夜懸命に働いている医療労働者に感謝します」と謝意を述べた。

 連帯あいさつで藤本泰成フォーラム平和・人権・環境共同代表は、「沖縄は全ての面で今も差別の中にある。沖縄を米国の植民地と言わず、何というのか」と強調。

 辺野古新基地建設に反対して国と闘っている玉城デニー県知事は、「沖縄の課題解決に向けてまい進するとともに、基地の整理縮小をはじめ、日米地位協定の抜本的な見直しなど、沖縄の過重な基地負担の軽減を図る」などとしたメッセージを大会に寄せた。

 来賓の国会議員、県会議員を代表してイハ洋一参院議員(参院沖縄選挙区予定候補)は、「沖縄は1人当たりの県民所得が低く、子どもの貧困率は高い。核抜き本土並みは守られていない。基地をなくすために継続した取り組みを」と熱く語った。

せめて夜だけは静かに

 嘉手納爆音訴訟原告団の新川秀清団長は、「原告団が最初は900人、今は3万5000人にまで広がっている」と説明した上で、「せめて夜だけは静かに眠らせて」「子どもたちが遊ぶことのできる島にしたい」との子どもたちの思いを紹介し決意を語った。

 北海道、東京、広島、長崎の平和運動センターからは、それぞれの地域で取り組まれている核廃棄物処分場建設反対やオスブレイの横田配備反対などについて報告があった。

 最後に、大会宣言が提起された。50年経っても変わらない「基地・沖縄」の現実を弾劾し、「復帰とは平和憲法に帰ることでした。その憲法が最大の危機を迎えている今日、それを守り抜くことが、『復帰して良かった』と心から喜び合える日につながる」として「基地のない沖縄、平和な日本、戦争のない世界をつくるため力を尽くすことを誓う」との内容の宣言が採択された。予定にはなかったが、会場の熱意で決意を示す団結ガンバローの三唱も行なわれた。

 

↑平和行進(前列右から2人目が新垣衆院議員、4人目が山城博治さん)=5月14日、沖縄市。

 

↑平和行進に参加した沖教組の代表団。

 

↑中曽根哲共同代表の発声で団結ガンバローを三唱した(那覇市)。

 

社会新報ご購読のお申し込みはこちら