(社会新報2021年12月22日号2面より)
矢田部理(やたべ・おさむ)元新社会党委員長が5日、老衰のため水戸市内の病院で死去した。享年89歳。
矢田部さんは1932年、茨城県大子町生まれ。中央大学法学部卒。59年に弁護士登録。水戸弁護士会会長、日弁連理事、社会文化法律センター理事などを歴任した。東海第2原発訴訟弁護団共同代表などを務めた。
74年、日本社会党から参院選に出馬し、初当選(以後連続4期当選)。社会党の外交調査会長、参院議員会長。ロッキード事件やダグラス・グラマン事件、リクルート事件などの疑惑を参院予算委で舌鋒鋭く追及する姿は注目された。
また、ODA基本法案を国会に提出し、あっせん利得処罰法の制定を目指すなど、政治腐敗防止に力を尽くした。
94年、社会党が参画した細川連立政権時代に上程された衆院小選挙区制度導入法案の参院採決で反対票を投じた。また95年、村山富市委員長が首相となった自社さ連立政権下で、社会党の基本政策である日米安保廃棄・自衛隊違憲政策の転換に反対し、96年に新社会党・平和連合を結成。後に党名変更した新社会党の初代委員長に就任した。
98年、2001年の参院選では当選できなかった。06年から10年までアジア人権基金理事を務めた。
↑参院行革委で質疑に立つ矢田部議員(1983年)。
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