社会新報

【主張】選択的夫婦別姓-何がそんなに怖いのか?

(社会新報2021年3月24日号3面《主張》より)

 

いくら説明しても「選択的」の意味が理解できない、もしくは理解したくない人たちがいる。選択的夫婦別姓導入について、社民・公明・立憲・国民・共産・れいわが賛成。日本維新の会が「同一姓・旧姓に法的な効力を持たせて対応」と条件付きながら一応賛成。世論も7割が賛成しているというのに、その声を阻み続ける存在がある。自民党だ。自民党内部も反対一色ではないようだが、賛成派の影は薄く、反対派の壁は分厚く頑なだ。

3月16日、岡山県議会は選択的夫婦別姓に反対する意見書案を近く賛成多数で可決する見通しだとの報道が流れた。ここでも自民党の存在が浮かび上がる。保守系団体のメンバーから本制度に反対する陳情が県議会に提出され、それを受けて自民党県議団が主導して意見書をまとめたという。反対の理由は、「家族の絆や一体感を危うくしてしまうおそれがあるばかりか、親子で異なる姓を名乗ることは、子どもの福祉にとって悪影響を及ぼすことが強く懸念される」というお決まりのせりふである。姓が違うことで子どもが不利益を被るような社会があるなら、そこにこそ政治が解決すべき課題がある。

本来、どちらの姓を選択してもよいにもかかわらず、実際には9割の女性が結婚にともなって夫の姓に変更している。根底にあるのは、「結婚したら、夫の家に入る」という根強い家父長制だ。姓の変更に伴う仕事上の不利益、銀行口座等の名義変更の煩雑さ、アイデンティティの喪失感を多くの女性が担わされてきた。

賛成派の理由には、特定の人たちに課せられた不利益を改善するための合理性があるが、反対派の主張は「絆」だとか「一体感」だとか「愛」だとか、急にロマンチックな感情論が制度設計に入り込んできて、なんとも厄介だ。結婚しても3組に1組が離婚する現状では、主張に説得力がない。そもそも「絆」だとか「一体感」という抽象的なものを国が人々に押しつけ、制度で縛ることに危うさがある。人々を管理・統率し、それに伴って不利益を被る女たちの痛みが、長年にわたって無視され続けてきた。本制度は、完全に夫婦別姓へと切り替えようという主張ではない。別姓を望む者は別姓を選択し、同姓を望む者はこれまでどおり同姓を選択すればよいだけのこと。制度が導入されても、同姓を望む人たちの日常は変わらない。一体、何がそんなに怖いのか?