(社会新報6月14日号3面より)
教職志望者の減少や臨時雇用候補者不足への学校現場からの悲鳴に押されて、「給特法」(公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法)の見直しも視野に入れた議論が、ようやく文科省中央教育審議会で始まっている。
そもそも給特法は1971年5月に国会で成立した。同法の背景には、教育労働者たちによる超勤手当の支給を求める「超勤訴訟」が全国一斉に提起され、最高裁で勝利したことがあった。この判決に基づけば、教員にも労基法通りに超勤手当が支給されるべきであったのに、当時の文部省はそうしなかった。代わりに、「教員には原則超勤をさせないが、生徒の実習や修学旅行引率、緊急災害時の対応などの4項目のみに超勤をさせることができる。そして、賃金の4%を教職調整額として一律に支給する」という給特法で逃げたのだ。当時の日教組がなぜこれを認めたのか、不可解である。
そのツケが半世紀もたまり、ついに現場の教員たちが過労死寸前にまで追い込まれている。2022年度の文科省調査でも、持ち帰り残業を含めた公立の小中学校教員の1日の平均労働時間が約11時間半だというから当然だ。もはや学校はブラック職場だ。そんなブラック職場で良い教育ができるはずがない。子どもたちにとって実に不幸なことである。
しかし、文科省は本当に給特法を見直すのだろうか。現に自民党は超勤手当を支給しないままで、教職調整額を10%に引き上げるという案を出した。自民党案がかなりの程度で文科省を縛るのは、歴史が証明している。だが、自民党案では教員の過労死寸前状況にストップをかけることはできない。結局、自民党も文科省も、教員の労働者性を否定し続けたいのだ。
なぜか。子ども・生徒という労働者のタマゴたちの前で、現実の労働者に立ち上がってほしくないのだ。憲法27条に基礎を置く労働基準法や、28条に保障された労働基本権を、子ども・生徒らの前で行使してほしくないのだ。
教育労働者の皆さんに訴えたい。労働者が過重労働で自らの健康や精神が壊されようとしている時、どうすればよいのか。どうしなければならないか。
超勤訴訟に訴えるか、あるいは、ストライキを打たなければならない。それは、日本国憲法にも定められている、万国労働者の普遍的原理である。