社会新報

【主張】東日本大震災から12年~今なお続いている福島の「原発震災」

ススキの原と化した自分の田を見つめる中間貯蔵施設内の地権者(2022年11月、大熊町で撮影、提供・豊田直巳さん)

 

(社会新報3月15日号3面より)

 

 2011年3月11日の東日本大震災の発生から12年を迎える。国内観測史上最大のマグニチュード9・0の巨大地震で、北海道・東北・関東の沿岸を大津波が襲い、死者・行方不明者は2万2000人を超えた。未曾有の大災害の犠牲者の冥福を、あらためて祈りたい。
 東日本大震災の最大の特徴は、原発事故をともなった「原発震災」となったことだ。地震が街に被害を及ぼすと同時に原発事故を起こし、通常の震災に放射性物質が加わって、救援自体が難しくなる。震災後も大量の放射性物質が長期にわたって復興を妨げる。
 その困難さは、震災・原発事故から12年を経てなお、2万7399人(23年2月)が避難生活を強いられている(自主避難者を除く)福島県の現状を見れば明らかだ。長期避難による心労などもあって、「原発事故関連死」と認定された人は2335人(23年2月)に達し、現在も増え続けている。
 確かに31兆円超の巨額予算によって地震・津波被害からのインフラや宅地整備などハードの復興はそれなりにすすんだが、原発震災となった福島県の復興はまだまだ道半ばだ。当初県全体面積の約12%だった福島県の避難指定区域は、2・3%まで縮小したものの、昨年6~8月に避難指示が解除された葛尾村、大熊町、双葉町の特定復興再生拠点区域(計約15平方㌔)で暮らす人は、いまだ拠点内の住民登録者の1%程度(23年2月)にとどまるなど、原発震災からの復興の困難さは浮き彫りとなっている。
 また、福島県の22年の沿岸漁業の水揚げ量は震災前の2割程度、21年度末の営農再開面積は震災前の4割強にすぎない。第1次産業の再生はようやく緒に就いたばかりだ。それに水を差すように、東電・政府は今夏にも汚染処理水の海洋放出を始めようとしている。とうてい認められない。漁業者や住民が強く反発するのは当然だ。
 さらに、政府はこの2月に「GX(グリーントランスフォーメーション)実現に向けた基本方針」を閣議決定し、原発政策の転換を決めた。これまで「想定しない」としてきた新原発の建設を明記し、「原則40年・最長60年」としてきた原発運転期間の延長も可能とする。政府は今国会で関連法を成立させようとしているが、とうてい認められない。福島の原発震災は今なお続いているのである。

 

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