社会新報

関東大震災 朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会~「負の歴史」ヘイトクライムから学べ

参院法務委員会で政府を追及した内容を報告する社民党の福島みずほ党首(中央)。左端が服部良一幹事長(8月31日、東京・文京シビック大ホール)。

ピアノ演奏した崔善愛さん。

 

(社会新報9月13日号1面より)

 

 1923年9月1日、相模湾北西部を震源とするマグニチュード7・9の関東大震災が発生し、関東南部を中心に甚大な被害が発生した。死者・行方不明者は10万5000人超。
 今年で関東大震災発生から100年になる。
 関東大震災では、天災による犠牲者だけでなく、虐殺による犠牲者(メモ)も数多く存在した。虐殺された人の多くは朝鮮人またはそれと疑われた人だが、中国人も少なからずいた。

加害歴史を忘れるな

 8月31日、「関東大震災朝鮮人・中国人虐殺100年犠牲者追悼大会」が東京・文京区で開催され、会場は約1800人(主催者発表)でほぼ満席になった。主催は同実行委員会。韓国や中国など海外からも多くの参加者があった。
 一般社団法人ほうせんかの理事で在日韓国・朝鮮人の慎民子さんは、東京・墨田区の荒川土手下に建つ追悼碑について語った。
 関東大震災時、この近辺で多くの朝鮮人が軍隊や自警団によって虐殺されたという。
 ほうせんかは2009年、多くの人の思いを集めてこの追悼碑を建てた。追悼式は1982年から毎年行なわれている。
 慎さんは「差別や暴力のない社会を目指して、皆さんと共に歩みたい」と力強く語った。
 関東大震災朝鮮人虐殺犠牲者遺族会(韓国)の権在益代表の祖父は、震災後に他の十数人の朝鮮人労働者と共に群馬県の藤岡警察署内に避難したが、9月5日に自警団に引きずり出され、虐殺されたという。
 権さんは「日本政府は真相を究明し、謝罪・賠償をすべきだ」と必死の形相で訴えた。
 温州遺族聯誼会(中国)の周江法会長の祖父は、震災直後の9月3日、東京・江東区大島町で他の中国人労工らと共に自警団などに取り囲まれ、虐殺された。ここでの犠牲者は計18人で、この中に祖父の弟3人も含まれるという。
 周さんは、自身の家族のみならず他の犠牲者家族らの苦難の歴史も語り、「日本政府は国家の責任としてこの歴史事実を認め、遺族らに謝罪すべきだ」と力を込めた。
 韓国と中国の他の登壇者からも発言があった。朝鮮総連や米国の参加者も登壇し、発言した。

歴史歪曲の岸田政権

 福島みずほ社民党党首(参院会派=立憲民主・社民)も登壇し、今年6月15日に参院法務委員会で行なった「関東大震災後の朝鮮人・中国人ら虐殺」に関する質問(本紙6月28日号参照)について語った。
 福島議員の質問に対し政府は、震災直後の9月3日に内務省警護局長が全国の地方長官宛てに送った「朝鮮人が各地に放火している」「厳密な取り締まりをしてほしい」旨の電信文の存在を認めた。また、震災翌年に日本政府が中国人虐殺の事実を認め、「中国政府に慰謝料として20万円を支払う」決定をした事実も、岸田政権は認めた。
 それでも、「流言飛語拡散の責任は政府にある」との指摘に対しては、政府は「記録が見当たらない」と繰り返すばかりだ。
 福島議員はこうした経緯を踏まえ、「日本政府には虐殺を引き起こした責任がある」と壇上で訴えた。
 杉尾秀哉参院議員(立憲民主、会派=立憲民主・社民)も、今年5月に参院内閣委員会で「虐殺への国の関与」などについて質問した事実を述べ、政府の無責任な姿勢を批判した。

地続きのヘイト社会

 専修大学の田中正敬教授(朝鮮近現代史)も登壇し、福島議員と杉尾議員の国会質問に対する政府の「虐殺に国が関与した史料は調査したが見当たらない」旨の答弁を取り上げ、「虐殺の事実が忘れ去られ、責任を追及する人々が亡くなるのを待っているのか」と批判した。
 「ヘイトスピーチを許さないかわさき市民ネットワーク」の崔江以子さんは、これまで受けてきた差別・脅迫・殺害予告などを述べ、「100年経った今、再び殺されるかもしれない」と苦しげに語った。
 ノンフィクションライターの安田浩一さんは、こうした現在の問題を捉え、「いま私たちは『過去の話だ』と言い切れない時代に生きている」と語った。
 この他、崔善愛さんによるショパン作のピアノ演奏、追悼の歌曲と合唱、日本国内での「草の根活動」の報告なども行なわれた。

       ◇

(メモ)【関東大震災時の虐殺による犠牲者】
 関東大震災が発生した2日後の9月3日、内務省警保局長は「朝鮮人が暴動を起こしている」などとする電信文を各地方長官宛てに送信した。根拠のない情報だったが、各地で「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などのデマも広まり、一部の新聞はデマ記事を書いた。そうしたこともあり、各地の自警団や官憲・軍などが多くの朝鮮人や中国人その他を虐殺した。
 内閣府の中央防災会議の「1923関東大震災報告書第2編」(2009年)などもこうした事実を認めている。殺害による犠牲者数は確定できないが、「数千人」と見られている。

藤田高景・実行委員会事務局長が閉会のあいさつ(8月31日、文京シビック大ホール)。