(月刊社会民主2021年6月号)
「中途半端で戦略が見えない」。これは新型コロナに対する緊急事態宣言が東京、大阪など1都3府県で20日間延長され、さらに愛知、福岡の2県に新たに発令されることが決まった翌日の毎日新聞社説の見出しだ。「中途半端やなぁ~」は30年も前、浪速のお笑いコンビ、「ちゃらんぽらん」が大受けしたギャグだ。ちゃらんぽらんに中途半端なことをやる分にはまだしも、菅政権は大まじめに、わざとこれをやるからタチが悪い。
なぜ、こんなことを大まじめに、わざとやるのか。今回は、おいおいそれを説明していこうと思うのだが、簡単に言うと、中途で何度でも口を出したいからなのだ。口出しできないと困るのだ。
まずは今回の第3次緊急事態宣言の期間だ。当初は4月25日から5月11日までの17日間。そして今回、20日間を延長して5月31日までとした。そもそも当初、なんでこんな中途半端な17日間だったのか。過去2回の緊急事態宣言は、それぞれ延長があったとはいえ、昨年4月の第1次は49日間、今年1月からの第2次は73日間。なのに第3次は、最初はたったの17日。そもそも発令の時点で変異ウイルスが確認されていた。このウイルスは、これまでのものと比較して感染力は1・5倍から2倍といわれ、爆発的感染が危惧されていたのに、わずかこれだけの宣言期間だったのだ。そして今回の延長もたった20日間。トータルで37日間の宣言期間は、第1次の49日間にも及ばない。
なんでこんなバナナのたたき売りのようなチマチマした宣言期間にするのか。要するに宣言期間が短ければ短いほど、政治家や財界人が口出しできるからだ。
「これじゃ、おれの地元の○○業はもたんぞ」「○○業の団体がパーティ券のさばき屋だが、なんとかしてくれと泣きついてきとる」。一方、カネのことしか頭にない経済界からは「減益減収続き。このままでは次の選挙は考えさせてもらう」「いつまでも保守応援団だと思ってくれるなよ」。
チマチマと期限を切っては、この人たちの顔色をうかがい、ご機嫌をとって、また少し延長する。その繰り返しなのだ。
そこには、新型コロナを発症しながらホテル療養どころか最後まで自宅に置かれ、なんの治療も受けずに亡くなっていった方や、なんとか回復したものの重症病棟に入るのが遅れ、今も重い後遺症に悩んでいる人へ思いはみじんもない。だが、いまの政権の、いまの緊急事態宣言発令のやり方を根本から変えない限り、この状態は変わりそうにない。
では、どうするか。ここからは最近、私があちこちで書いたり、しゃべったりしていることを社民党はじめ野党のみなさんにぜひ聞いてほしい。そもそも私の主張を取り入れたからといって、新たに予算を組む必要なんて全くないのだ。
欧米各国のように都市間の移動を止めるロックアウトが日本では物理的、法律的にできない以上、緊急事態宣言を完全なサーキットブレーキ方式にするのだ。この方式は、もともとは株式用語で政治、外交的な要素で株が投げ売り状態に陥ったり、特定の企業の株に売りが殺到、ストップ安になるなど市場が大幅に荒れたとき、取引所があらかじめ設けられた基準に則って取引停止をかける。これをサーキットブレーキと呼んでいる。
このサーキットブレーキを緊急事態宣言にも応用するのだ。まずは、ここが一番大事なことなのだが、医学者、感染症学者、ウイルス研究者、統計数理学者のみで、ほかの分野の関係者は一切入れず、緊急事態宣言発令基準を作成しておくのだ。直近1週間の感染者数。前週前々週から見た増加率。感染経路不明者数。重症者数、ベッド使用率。こうしたものを数値化しておいて、例えば7項目のうち5項目が、ある規定数を超えた場合には、自動的に緊急事態宣言の発令とするのだ。
もちろん発令するのは政府だが、期間は規定を超えた項目数に関係なく、一律3ヵ月約90日。そして肝心なことは、政府には期間を含めて拒否する権限は一切ない。まさにガチガチのサーキットブレーキを真っ先に踏んでしまうのだ。
いやはやなんとも厳しいなぁ。しかも期間は3ヵ月約90日。息が詰まるし、経済は破綻してしまうのでは、と感じる向きもあろう。だが、この方式、ブレーキばかりではない。アクセルも用意されている。これも医学、感染症学者たちだけで、あらかじめ緩和基準を策定しておくのだ。例えば直近の感染者数増加率がここまで下がったら、イベントは解禁。重症者がこの数字になったら、大型商業施設はオープン。それに期間だって3ヵ月にこだわるわけではない。例えば7項目のうち、5項目があらかじめ設定された数値を満たした場合は、まだ1ヵ月しかたっていなくても即、すべて解除とする。
なにより、この方が中途半端にチマチマやられるより、ずっとみんなに励みが出るではないか。いずれにしろ選挙のことと、それを支えてくれる財界のことしか頭にない自公政権にまかせていては、国民の命は日々奪われていくばかりだ。