社会新報

関東大震災と虐殺の歴史を忘れない

関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼集会で披露された金順子さんによる「鎮魂の舞」(2020年9月1日、東京・墨田区の都立横網町公園)=豊田直巳さんの提供。

1923年9月6日、埼玉県寄居町で群衆に虐殺された具学永さんの墓(同町・正樹院)。具さんは2年前から寄居に暮らす28歳の青年だった。

 

(社会新報8月16日号1面より)

 

 あれから100年が経った。
 1923年9月、東京・神奈川を中心に最大震度7の大地震が襲った関東大震災だ。都市火災の広がりもあって死者・行方不明者10万5000人の大惨事となった。私たちは今年も、その死者たちの冥福を祈る。
 同時に私たちは、その直後に始まった朝鮮人・中国人虐殺を忘れない。「朝鮮人が放火した」といった流言が生まれ、それを警察などが拡散したことをきっかけに、関東一円で朝鮮人・中国人が襲われ、数千人の朝鮮人と数百人の中国人が虐殺された。戒厳令で出動した軍も、多くの朝鮮人・中国人を虐殺した。軍はまた、日本人社会主義者の虐殺をも行なった。それは、内閣府中央防災会議専門調査会の「1923関東大震災【第2編】」が記すとおり、「大規模災害時に発生した最悪の事態」だった。
 朝鮮人虐殺の背景にあったのは、日本の朝鮮植民地支配であり、それが生み出した民族差別だった。
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 ここに2枚の写真がある。
 下の写真は、埼玉県寄居町に今も残る具学永さんのお墓を写したものだ。具さんは1923年9月6日未明、隣村から押し寄せた群衆に殺された。28歳だった。具さんのように名前が刻まれた墓が残る犠牲者は少ないが、「数千人」の一人ひとりに名前があったことを私たちは忘れてはならない。
 上の写真は、毎年9月1日に東京・両国の横網町公園で開かれる朝鮮人犠牲者追悼式典の様子だ。震災と空襲の死者を悼むことを掲げるこの公園に、朝鮮人虐殺犠牲者を悼む碑が建立されたのは1973年。建立実行委員会には日本社会党(当時)を含む都議会の全会派の幹事長が参加した。その後も、歴代の都知事がこの碑の前で行なわれる追悼式典に追悼文を寄せてきた。
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 ところが現在の小池百合子都知事は2017年以降、追悼文送付を拒否している。小池都知事は「何が明白な事実かについては、歴史家がひもとくものだ」などと、虐殺の史実を否定するかのような答弁さえ行なっている。
 先の中央防災会議の報告でも強調していることだが、大規模災害時の差別的流言は今後も発生することが予想されるし、それがヘイトクライムに直結する危険性もある。そうした中で、朝鮮人虐殺犠牲者を悼み、二度と繰り返さないと誓うことは、東京の首長が絶対におろそかにしてはならないことのはずだ。
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 社民党は、民族差別に由来する暴力によって虐殺された100年前の犠牲者たちを悼む。二度と繰り返させないと誓う。そして、差別によって人が人を虐殺することを許さず、差別を推し進める政治を決して許さない。
 今年6月15日の参院法務委では、福島みずほ社民党党首が、内務省(当時)が流言を拡散したことを示す文書と、政府が虐殺された中国人被害者の慰謝料として20万円の支出を決定したことを示す文書が、それぞれ政府により保管されていることを国会答弁で認めさせた。
 次に政府がやるべきは、虐殺への関与や隠ぺいに対する国家責任を認め、謝罪することだ。そのために社民党は全力を尽くす。