永遠のヌーベルバーグ~巨匠ゴダール監督追悼 〈寄稿=田中千世子〉
(社会新報10月12日号3面より)
ジャン=ポール・ベルモンドが顔を青く塗ってダイナマイトを頭に巻く『気狂いピエロ』(65年)。私が初めて出会った〈ヌーヴェル・ヴァーグ〉がゴダールだ。
「また見つかった
何が?
永遠が
海と溶け合う太陽が」
詩人ランボーの「地獄の季節」が南仏の海にかぶって、カッコイイ。このまま映画に溶け込みたいと思った。
9月13日に「ゴダール死す」のネット・ニュースを見た時、ゴダールも死ぬんだ、と不思議な感慨にとらわれた。ヌーベルバーグが永遠である以上、ゴダールも永遠! という定理が、多くの映画ファンにあったと思う。それとも「自分が死んだら、映画も死ぬ」と1980年代にゴダールが言ったから、映画に死なれないために、ゴダールの不死を私たちが願っていたのだろうか。
1930年12月3日にパリに生まれたジャン=リュック・ゴダールは、母方がスイスの名門だったため、スイスの高校に通うが、パリ大学に進学すると、シネクラブで映画鑑賞に没頭し、51年創刊の『カイエ・デュ・シネマ』誌で映画批評の腕を磨く。この映画雑誌の若い書き手たちは、文学や演劇色の強いフランス映画の伝統を徹底的に批判。新たな映画表現を目指し自ら映画を作り始める。
『勝手にしやがれ』
ゴダールはフランソワ・トリュフォーと共同で洪水に見舞われたパリ近郊の様子を撮影した『水の話』(58年)で状況のなかに人間のドラマをつくり上げることに成功し、初の長編『勝手にしやがれ』(59年)で世界をアッと言わせる。独特のカットやモンタージュで従来の映画の文法を破った新鮮さは批評家たちの支持を獲得。一世風靡(ふうび)のヌーベルバーグから誕生したのが『気狂いピエロ』だ。ベルモンド主演で、犯罪に染まった男が美女に裏切られ、そして死ぬというコンセプトは、『勝手にしやがれ』と同じである。
68年、世界的に反体制運動が盛り上がる。パリでは5月革命。ゴダールはトリュフォーらと共にカンヌ国際映画祭期間中に、ブルジョワ映画祭粉砕! を叫んで上映を妨害して、映画祭を中止に追い込む。同時にゴダール自身も商業映画の製作を断ち、革命志向の強い政治的な作品を作り始める。ソ連の映画作家の名前を冠したジガ・ヴェルトフ集団として『東風』『イタリアにおける闘争』などを作り、72年に解散。その後、商業映画作りに戻り、ヴェネツィアやカンヌの国際映画祭に復帰する。
脱皮し続ける
もっともゴダールの作る商業映画は、アラン・ドロンやジェラール・ドパルデューなど有名俳優が出演するものの、決して娯楽には向かわず、ゴダール自身の世界観や映像美に対するこだわりが優先される芸術作品なのである。『カイエ・デュ・シネマ』誌で伝統を否定した時と同様に、ゴダールは脱皮し続ける。
ある時はフィルムの映画をやめると宣言して、デジタルの作品に向かい、一時流行した立体映像にも取り組んでみる。そうした姿勢が永遠のヌーベルバーグなのである。
過去の名作から最近の映画の断片をコラージュ風に構成した『イメージの本』(2018年)は、世界と自分自身についての曼荼羅(まんだら)とも言える遺作である。欧州の名作のなかに溝口健二の『雨月物語』や現代イラン映画も混じる視覚の広がり、さまざまな文章や、絵画、音楽の引用。そこには詩人ランボーの顔も登場する。革命と生と死と戦争についての言葉が、なんとも印象的である。