(社会新報2月22日号3面より)
2月11日、東京・千代田区内で「建国記念の日を考える集会」が開かれ、150人が参加した。主催はフォーラム平和・人権・環境。
初めに主催団体の藤本泰成共同代表があいさつ。「今年は関東大震災の朝鮮人虐殺事件から100年を迎える。日本政府は歴史の事実をしっかりととらえ直し、植民地支配の犠牲者に対して事実の発掘と謝罪をまっとうしなければならない。それが現在の閉塞(へいそく)状況を打ち破る道だ」と訴えた。
続いて、1983年製作の映画『隠された爪痕』(呉充功監督)を上映。1923年9月1日の関東大震災直後に起きた朝鮮人大量虐殺について、東京・荒川河川敷での遺骨発掘作業や、ホルモン焼き屋を営む曹仁承さん(当時83歳)ら多くの証言を集めた貴重な記録である。参加者は生々しい映像に目を奪われていた。
流言を誰が広めたか
上映後に、一般社団法人「ほうせんか」理事の西崎雅夫さんが「証言から知る関東大震災・朝鮮人虐殺事件」と題して講演した。
関東大震災発生直後から「朝鮮人が放火した」「朝鮮人と共産主義者が井戸に毒を投げた」といった流言飛語が広がり、官憲や自警団などが多くの朝鮮人らを虐殺した。西崎さんは墨田地域で流言飛語がどのように拡散したのかについて、書籍『風よ ほうせんかの歌をはこべ』(92年)に収められた内田さん(仮名)の次のような証言などを引用して説明。憲兵隊の関与を指摘した。
「(1日の夕方に)憲兵隊は『朝鮮人が井戸の中に薬物を投げた。かようなる朝鮮人は見たら殺せ』と避難民に命令しました。扇動したのは憲兵隊です」
自警団はどのようにして朝鮮人を虐殺したのか。西崎さんは、俳優の伴淳三郎さんの『伴淳のアジャパ』(75年、徳間書店)から次の記述を紹介。
「(2日朝、四ツ木橋付近で)朝鮮の人と思われる死体が地面にずらーっと転がっている。その死体の頭へ、コノヤロー、コノヤローと石をぶっつけて、めちゃめちゃにこわしている」
遺骨を隠蔽する方針
虐殺に関する多くの証言がありながら、政府(軍・警察)の公的資料には遺骨を埋めた場所や個数の記述がほとんど記録されていない。その理由として西崎さんは「朝鮮人の遺骨の行方すら分からないのは、日本政府が事件を隠蔽(いんぺい)したためだ。朝鮮総督府警務局の極秘文書には遺骨を『其ノ遺骨ヲ不明ノ程度ニ始末スルコト』(遺骨を日本人と朝鮮人の区別ができないように始末すること)と、日本政府の隠蔽方針が明記されている」と指摘した。
最後に西崎さんは、関東大震災直後の朝鮮人虐殺の問題に今も取り組む理由について「『朝鮮人を殺せ!』といったヘイトスピーチが今もネット上で横行している。ウトロ地区では放火事件というヘイトクライムが実際に起きている。100年前の朝鮮人虐殺事件は決して過去の話ではないからだ」と強調した。
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