社会新報

【日弁連シンポジウム】「平和国家」の岐路に問う~瓦解する立憲主義と突き進む日米同盟

(社会新報6月14日号1面より)

 

 日本弁護士連合会と東京の3弁護士会が主催するシンポジウム「『平和国家』の岐路に問う」が5月27日、東京・千代田区の弁護士会館で行なわれた。会場には約120人が詰めかけ、オンラインでは約200人が参加した。

9条は生きている

 第1部で、東京大学法学部教授(憲法学)の石川健治さんが基調講演した。
 石川さんは、民主主義・立憲主義・平和主義を追求する上での国際的な思想・法概念を解説し、日本国憲法の立脚点などについて語った。
 その上で、憲法9条が「骨抜き」にされる状況を前に、次のように語った。
 「日本国憲法は、人々にその基盤があったがゆえに定着している。その根拠は9条周辺にありそうだ。これを壊せば、憲法全体の国民的基盤が壊れてしまう恐れがある」
 「9条には、人権論や平和的生存権の側面もある。この社会を非軍事化することで、風通しが良く、異質な者が共存できる社会を目指している。『共存の政治』が力を失わない限り、9条はまだ生きている」

専守防衛の骨抜き

 第2部ではまず、東京大学教養学部教授(国際政治学)の石田淳さんが基調報告を行なった。
 石田さんは、日本の専守防衛政策について解説した。その上で、「安保法制(2015年)以降の存立危機事態(メモ)や反撃能力(敵基地攻撃能力)という概念を用いた『例外の範囲の拡大』によって、専守防衛から逸脱することで、周辺諸国の日本に対する予見可能性が損なわれてしまう」と危惧を示した。
 また、日米安保条約での条約地域が「日本の領域内」であるにもかかわらず、存立危機事態の対象範囲が限定されないことを挙げ、「危険性がある。『同盟のジレンマ』(メモ)を緩和するために条約地域という概念を取っ払う発想だ」と指摘した。
 続いて、新外交イニシアティブ(ND)代表で弁護士の猿田佐世さんが基調報告を行なった。
 猿田さんは、日本の置かれた安全保障環境について「現状では日本一国では戦争になる可能性はないが、もしあるとすれば、米中間の紛争で台湾有事に巻き込まれた時だけだ」として、「台湾有事を回避せよ」と訴えた。
 さらに、中国がロシアと同様に核兵器軍事大国であることを挙げ、「台湾有事になった時、米国は本当に台湾や日本を救出するために来るのか」と疑問を呈した。その上で、「日本政府は『一つの中国』路線を明確にし、それに反する行動を慎むべき」と提言した。

立憲主義の自己矛盾

 この後、石川さん、石田さん、猿田さんの3人が参加し、パネルディスカッション「武器に拠らない平和への道筋を考える」が行なわれた。コーディネーターは、日弁連憲法問題対策本部副本部長の伊藤真さんが務めた。
 石田さんは、国家の「自己決定」について次のように問題提起した。
 「日本は民主主義国と同盟を形成することで自己決定力を保持できるのか。『同盟のジレンマ』によって、結局はそれができなくなるのではないか」
 石川さんは、「国家目的論に関することであり、同盟の形成には隠された動機があるはず。台湾有事論に関してもそうだ。また、実際は自己決定ではなく共同決定であり、共存のために自己拘束している」と応じた。
 また関連で、次のようにも語った。
 「集団的自衛権は、同盟政策の別名とされてきたもの。だから、集団的自衛権の行使をこちらから容認しないことで、日米安保条約は狭義の同盟条約になり切らないでいた。その部分を内閣法制局は懸命に守ってきたが、(14年の閣議決定で)それが壊された。そこを問題にすべきだ」

9条は死んだのか?

 猿田さんは、「憲法9条は死んだ」とも言われる中で、「『9条のない』社会を考えれば、まだまだ9条は死なず、しっかり声を上げ続けている。私たちは、これを死なせないためにもっと頑張らないといけない」と訴えた。
 石川さんは、9条を次のように意味づけた。
 「9条はいわばユートピア条項だが、これを『置く』ことが実は憲法を持つ意味でもある。9条以外の条文も、大なり小なりそういう性質を持っている。現実との間に必ず距離がある。それを埋めていくことが、憲法を支える立憲主義の考え方だ」
 最後に伊藤さんが、「異質な他者や異質な国々との共存が、これからますます大切になってくる。私たち一人ひとりが『もの言う民』になり、行動に結び付けていくことが大切だ」とまとめた。
           ◇
 
メモ【存立危機事態】「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」。
 2014年7月の閣議決定で、集団的自衛権行使の前提条件の一つとして明示された。
           ◇
 
メモ【同盟のジレンマ】同盟相手国の行動に「巻き込まれる不安」とイザという時に「見捨てられる不安」の両方を同時に解消できない、という苦しい状況のこと。