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福島みずほ、半生を語る。議員生活25年、その原動力と知られざるエピソード

4.事実婚、夫婦別姓を選んだ理由

夫は私より先に司法試験に合格していました。自分の親や、彼、彼の親に公衆電話で「落ちました」と報告したときは本当につらかったです。

「君は君だから、君で良い」と彼が言ってくれて、ホッとしました。一方で、「自分の食いぶちぐらい自分で稼ぐのだ」と強い思いを持ち、社会で羽ばたきたい、いろんな問題に立ち向かっていきたいという夢がありながらも、なかなか前に進めなくて腐心しました。

 

10代の頃までは、なんとなく「いつか私も結婚して姓を変えるのだろう」と思っていました。20歳を過ぎて、結婚する、名前を変えるということが私自身の問題になりました。

司法試験に落っこちて、とぼとぼ歩いている時に、「新しい自分になって白紙からやり直そうかな。姓を変えたら運が良くなるかも」と思ったこともありました。ただ、私が姓を変えることによって、福島瑞穂さんという人がいなくなるというのは、とても寂しい思いがしました。

「私は姓を変えたくない」と彼に宣言しました。すると彼も「僕も福島になりたくない」と言うのです。「自分も嫌なことはあなたも嫌でしょう」と。確かに、と思いました。私たちは事実婚をし、夫婦別姓を選びました。

 

 

5.娘を「婚外子」にしてもいいのか

司法修習生の時に娘が生まれました。産まれる前日まで裁判所に行って働いていて、今思えば、あんなに無理しなきゃよかった。当時はできるだけみんなと一緒に修習して、一緒に一人前になりたいという思いから、頑張りすぎてしまいました。弁護士になると事件に追われることになるので、今から思えば修習生の時に産んだというのは良い選択だったかな。

 

当時恐れたのは、娘に迷惑をかけること。強い意志で決めたことですが、「未婚の母」として、「婚外子」として娘を産み育てていいのか、やはりすごく迷い、悩みました。

正直、周囲と違う人生を歩むのが怖かったんです。人に後ろ指を指されるのではないか。学校や、人生の節目で娘がとんでもない差別を受けるのではないか。娘に生まれながらのハンディを負わせるのはいかがなものか、と。

 

鏡を見ると、不安そうな私が映っているわけです。その時に思ったのは、「世界中の人をだますことができても、私は私をだますことはできない」ということ。本当のことを言うと、娘への心配というより、自分のことが不安だったんです。

彼はこう言ってくれました。「特別な子を育てると思うのではなくて、普通にやろうよ。もしどうしようもなくなったら、その時は結婚届を出せばいいよ」。それでやっと、肩の力が抜けたんです。

 

 

 

6.趣味と生きがいと実益を兼ねた選択的夫婦別姓・婚外子差別撤廃

娘が生まれると、周囲はとても温かく迎えてくれました。

私は東京修習第4班で、坂本堤さんと一緒でした。後にオウム真理教に殺害された坂本弁護士です。坂本さんをはじめみんながお金を出し合って、出産のお祝いに大きなクマのぬいぐるみをプレゼントしてくれました。私は「何か言われたらどうしよう」と腕まくりしていたんですが、私たちの選択をすごく応援してくれたんですよね。

「自分自身のライフスタイルとして、選択的夫婦別姓、婚外子差別の撤廃を、趣味と生きがいと実益を兼ねてやり抜く」。法律家なんだから、自分ごととして法制度上の差別を変えていこうと決めました。

 

ただ、双方の両親はやはり心配していました。私の母と姉が彼の事務所に、「どうか婚姻届を出してください」と手紙を送ってきたこともありました。

「瑞穂ちゃん、もっと男の人を立ててあげなさい」。宮崎空港で、父と母と3人でお茶をしていると、母がこう言ったこともありました。私は「お母さん、自分で立たないものは、別に立ててあげる必要はないんです」と言いました。今となっては笑い話ですが、別姓だとわかっているのに、母だけ、年賀状の宛名に彼の氏名と「瑞穂」とだけ書いて送ってきたこともありましたね。

 

法律婚か事実婚か、夫婦同姓か別姓か、その人が自分の思いで選べるといいんですよね。

「2人で一生懸命子育てします」と頑張っていたら、いつしか両方の親も安心してくれました。

「これがあなたの幸せです」と、誰かが無理やりお仕着せの服を着せようとしても、もし自分にとって窮屈で合わなければ、その服を無理やり着ることはないんですよね。世間はいろんなことを言いますが、怖かったらやめたらいいし、変わりたいと思ったら変えればいい。不本意な生き方をしないのが一番です。

 

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