月刊社会民主

月刊社会民主11月号が本日発売! 特集は「日本社会党結党80周年」

 

第2次世界大戦後まもなく、戦前の無産政党や労働運動家、社会運動家らが、「勤労階層の結合体」として、日本社会党を1945年11月2日に結党した。勤労者大衆の夢と希望が託されて船出をしたこの日から、今年11月2日で80年となる。

55年に左社・右社が統一し,自民党との2大政党時代の「55年体制」を担った。反戦平和、護憲、原水爆禁止、60年安保、砂川、三井三池炭鉱、春闘――、さまざまな大衆闘争の多くは日本社会党と密接につながったものだった。

労働運動では、1950年に結成され、89年に解散した日本労働組合総評議会(総評)と社会党の密接な連携があった。総評解散後、主な民間労組、官公労が結集する連合と、共産党系労組を中心とする全労連が発足。国鉄の分割・民営化をめぐり総評中央と対立した国労などが全労協を結成し、労働界の構図を塗り替えた。

党内では理論論争に長年、体力を費やした。49年の森戸・稲村論争、60年代に「日本における社会主義への道」をめぐる論争、江田三郎書記長の「構造改革論」論争、向坂逸郎さんらが創立した社会主義協会と反協会の論争。86年には石橋政嗣執行部の西欧型社民の「新宣言」採択。同年、土井たか子さんが委員長になり、憲政史上初の女性党首誕生。93年の細川連立政権への参画と離脱。94年、村山富市自社さ連立内閣が発足。長年の安保・自衛隊政策を180度転換し、党内が混乱に陥る。961月、社会民主党と改称し、来年に社民党として30周年を迎える。

もう一つ忘れてはならないのは、1960年1012日に浅沼稲次郎委員長が刺殺されて65年を迎えたことだ。排外主義と戦争への道を加速する現状況との違いと接点を考えながら、決意を新たにしたい。