(社会新報1月16日号3面より)
1995年1月17日に淡路島北部を震源とする阪神・淡路大震災が起きてから、今年でちょうど30年を迎える。マグニチュード7・3、神戸市内で震度7を記録したこの地震では、6434人が亡くなり、64万棟近くの家屋が被災した。犠牲となった方々をあらためて追悼するとともに、地震や災害への備えを点検する機会としたい。
阪神・淡路大震災は、日本で初めての大都市直下型地震とされる。高速道路橋や新幹線など、それまで「絶対に壊れない」とされてきた巨大公共建造物が次々に倒壊して、ライフラインが途絶した。戦後の日本の「安全神話」が覆され、防災の「常識」も大きく変わったといわれる。
その後も、2011年の東日本大震災、16年の熊本地震、24年の能登半島地震と、大規模地震が発生しているが、阪神・淡路大震災の教訓を受け止め、命を守り、被災者の生活基板を迅速に回復できるような体制が整備できているだろうか。
東日本大震災では、津波の被害と原発事故という事情があったとはいえ、被災から13年を経た現在でも2万5610人が避難生活を強いられている。これはひとえに、「安全神話」を盲信して原発事故への備えを怠ってきた結果だ。
昨年元日の能登半島地震では、初動対応の遅れが指摘されている。被害の全容把握に時間がかかり、援助部隊の投入が小出しとなって、救命ニーズに追いつかなかった。道路が寸断され、避難所への水や食料、物資の搬入が遅れた。警察、消防、自衛隊の活動の邪魔になるとして民間の支援やボランティアを制限しようともした。「ボランティア元年」ともいわれる阪神・淡路の経験が生かされていない。被災から1年を経てなお2万人に上る人々が避難している能登の状況は、被災者の生活基盤を迅速に回復するという面でも道半ばだ。
30年を経て、阪神・淡路の街の再開発、道路の整備などハード面の再建はほぼ終わった。しかし表面的な街の姿の再現だけでは意味がない。
阪神・淡路大震災以後、日本列島は地震活動期に入ったとされ、今後も大規模地震が避けられない。狭い国土に原子力施設が林立する日本は、よりていねいな防災対策が求められることを肝に銘じ、徹底した防災対策を整備することが必須だ。無対策を「想定外」とする言い訳は、もう許されない。