7.法制度が差別を助長してはいけない
弁護士の仕事は具体的な事件にぶつかっていくので、しんどいことも多いけれど、手応えがありました。市民運動をし、裁判を担当しながら、法律や制度を変えていきたいと奮闘してきました。選択的夫婦別姓、学校や職場のセクシュアルハラスメント、ドメスティックバイオレンスなどの問題に取り組んできました。
かつて、住民票の世帯主との続柄欄で、子の属性により不利益や差別につながるような記載があったのです。結婚している夫婦の実子だと「長男」や「長女」、「二女」と書かれていましたが、養子は「養子」、婚外子は「子」と書かれていました。婚外子を持つ親が、これが差別につながるので記載しないようにしてほしいという裁判を起こし、私はその代理人の一人になりました。その子と娘は同じ年。思い入れのある裁判でした。
裁判の途中で社会党の日下部禧代子議員に行政交渉してもらいました。「住民票上、子の続柄を長男や次男や養子といった記載ではなく、差別のない『子』という記載に変えたら、何か実務上支障がありますか」と聞いたら「検討します」と。そして回答が来たんです。「全部『子』にしても何も支障はありません」。自治省が通達を出し、全国の全ての住民票の続柄が、全部『子』に統一されました。
「福島さん、よかった」。ママ友にこう言われました。「実は私、再婚していて、上の子が連れ子なんです。住民票上、『養子』と書かれていたので、『子』に統一されて本当によかった」。差別を助長するような法制度があるのはよくない。そして、そんな法制度は変えていくことができるんです。
8.土井たか子さんとの出会い、政治へのチャレンジ
弁護士として仕事に夢中になっていたら、先代の社民党党首、土井たか子さんに声をかけられました。対面できっちり話をされる方でしたから、何度も何度もお食事をご一緒する中で、こう言われました。「これから有事立法が五月雨のように出てくる。一緒に国会で頑張ってほしい」と。
すごく悩みました。もちろん選択的夫婦別姓のロビー活動はしていましたし、弁護士として人を応援するのはいいのだけど、実際、自分が政治の世界に立つとなると、何かとんでもないトラブルが起きるのではないかという、漠とした不安がありましたね。
土井さんと話をしている中でちょっと具合が悪くなってしまって、お手洗いに立って、トイレの窓から月を見ながら、「どうしようかな」「仕方がないのかな」と考えていたことを思い出します。
ここでも背中を押してくれたのは夫です。「チャンスがあるんだったら、やったらいいんじゃないか。日本に社会民主主義を樹立するための柱になったらいい」と。そこから25年間、今に至るまで全力応援の姿勢は変わらず、ずっと励ましてくれています。「迷惑だ」とか、「俺の飯はどうなるんだ」と言われたことは今まで一度もないですね。
決め手となったのは、やっぱり、「憲法9条を変えられたら困る」と強く思ったことでした。「憲法9条を変えられたら私が困る。みんなが困る!」。そう思って、チャレンジしました。
9.そして党首に。連立政権では大臣就任も罷免
先代の土井さんが、私に政治の道を勧めてくれた時に、「私は気が弱いので政治家には向きません」と言ったら、黙っていらっしゃいました。気が弱いわけがないと思ったんでしょうね。確かに「こうだ」と決めたら、折れないところはあります。
土井さんは身長が170センチ近くあって、オーラがある方だったのですが、普段は口数が少なく、街頭演説でも質問でも、緻密に準備や勉強を重ねていた姿が印象的でした。カラオケが本当に上手かったですね。私なんか、前座という感じで、土井さんの歌に聞き惚れていました。
統一会派を組むなど国会で動きがあった時、土井さんが「あなたは判断が的確だから」って言ってくれたんです。私の判断を信頼してくれているんだ、と嬉しかったですね。
「党首に」と土井さんから言われた時は、「力不足ですから、お引き受けできません」とお断りしました。その後、土井さんだけじゃなくいろいろな人から「ぜひ引き受けてほしい」と言われて、私みたいな平凡な人間だからこそ、皆さんの力を借りてできることがあるかもしれないと決心を固めました。
2009年9月、民主党、国民新党との連立政権で社民党は与党になり、私は大臣に任命されました。内閣府特命担当大臣として、少子化対策、男女共同参画、消費者、食品安全などを担当。これまで取り組んできたことだったのですごくやりがいがあって、全力投球しました。
ただ、2010年の普天間基地の辺野古地区の移設問題で、辺野古の新基地建設反対で一貫して国外移設を主張し署名を拒否、大臣を罷免されてしまいました。